バンタンのアメリカ公演が始まりましたね!
公演が続く間、またたくさんの写真や
動画がSNSに上がってくるはずです。
海外は撮影OKですから現地の熱気も含めて
リアルタイムで共有されていくんでしょう。
以前、ナムさんが東京で話してくれたように、
撮影不可の空間で自分の目に焼き付ける時間を
大切にするARMYの姿を、彼ら自身も喜んで
くれている。そういう体験が心に残る強さは、
やはり特別なものだと思います。
とはいえ
ファンカムの良さも確実にありますよね。
現場にいても見えない角度、公式カメラには
映らない表情。後からじっくりと推しを
追えるありがたさは、やっぱり大きい。
ただ、その一方で気になるのが、
公演外での行動、いわゆる「目情」や
プラべの扱いです。外出の様子を追ったり
盗撮に近い形で拡散される情報も
増えていくと思いますが、そこは静かに
過ごさせてあげてほしいと願います。
そんな流れの中で、以前見かけた
ある言葉が引っかかってまして。
「本国でこれなら、
アメリカではもっと大胆になるかも♡」
一見軽い感想のようでいて、その前提に
あるのは、「シパ的な見方」です。
メンバー同士の仲が良いことなんて、
ARMYなら誰でも分かっていることです。
でも、その「仲の良さ」を根拠にして、
「見えるものをそのまま書いているだけ」
「彼らが見せてくれて
いるものを見ているだけ」
「捏造はしていない」
そう言い切ってしまうけど
本当にそうなのか?と
感じる場面が少なくありません。
たとえば、
「いつも一緒に食事に行っているから」
「バイクの後ろに乗せるのはこの人だけ」
「気づいたら隣に並んでいる」
「アクセサリーがお揃い」
こういった断片的な事実や場面の切り取りを
あたかも一貫した関係性の証明のように語る。
でも、それを「見たまま」と言い切るのは、
少し図々しい気もします。
さらに気になるのは、
「〇〇はきっとこう思っているはず」
「この関係性ではこういう立ち位置だ」
といったように、本人の気持ちや内面にまで
踏み込んで断定してしまう語り方です。
(グミシパが大好きな「ジミンのお世話を
したがるジョングク」的なやつです。)
それはもはや感想ではなく
「こうであってほしい形」
を前提にした解釈であり、他人の内面を
勝手に代弁している状態にも見えます。
私たちが見ているのは、あくまで
限られた瞬間であり、切り取られた一部です。
その内側にある関係性や感情までは、
本来見えるはずがないのに。
にもかかわらず、特定の関係性を
「確定したもの」として語り、
その中での役割や立ち位置まで
断言してしまうと
それは解釈の域を
越えてしまっていると思います。
また、本文では抑えていても、コメント欄で
過剰な解釈や断定的なやり取りが
そのまま公開されている
ケースも目につきます。
書き手の意図とは別であっても、
公開の場である以上、それらも含めて
「発信」として受け取られます。
「これは公に出していい内容なのか」
という視点が欠けているように感じます。
本来、踏み込んだ解釈や内面に関わる話は
共有する場所や範囲を
選ぶべきものだと思います。
誰でも目にできる場所で語るのであれば
それがあくまで「個人の解釈」である
という前提は、意識しておく必要が
あるのでは?というかありますよね(圧)
誰かの魅力や関係性を語ること自体は、
とても自然なことです。けれど、それが
いつの間にか「唯一の正解」のように
扱われ始めたとき、それは感想ではなく、
押し付けに近いものになってしまう。
見えているものを楽しむことと、
見えていないものまで断定すること。
その間にある線を、無意識に越えてしまって
いる場面が増えているように感じます。
だからこそ、その線を越えている自覚が
ないまま発信されている言葉ほど、
一度立ち止まって読み直して欲しい。
「記事に何を書くかは自分が決める」
もちろん、それ自体はその通りです。
ただし、他人の性的嗜好や内面を、
第三者が断定的に語り、それを
公開することに関しては、別の話です。
そこには少なくとも
「何を書いてもいい」という
自由だけでは済まない領域がある。
その自覚は、もう少し持っていても
いいのではないですか?
過去にはテテに対して、シパ的解釈や嗜好に
基づいた勝手な反感が過熱し、
結果として集団的なアンチに
「都合の良い根拠」として扱われてしまった
可能性は否定はできません。
もちろん、すべての人がそうでは
ありませんし
楽しみ方そのものを
否定するものではありません。
ただ、特定の見方が
オープンな場で広がることで
意図せず誰かの悪意に火をつける方向に
作用してしまう可能性がある、
という点は無視できないと思います。
だからこそ、解釈の自由度が高いものほど
共有する場所を選ぶという意識は大切。
「鍵」と言う、前提を理解した人たち同士で
楽しめる環境であれば、
外部への誤解や不要な摩擦も
減らすことはできると思います。
鍵できるのに使わない、
その理由があるなら教えていただきたい。