人の成長は留まることを知らなくて、
というか命たるもの死ぬまで一生成長と考えています。
どんなに頭が良くても、どんなに長生きしても、
未知が存在し、時間が流れ続ける以上、全部を知ることは不可能。
その上で、諦めて生きるか、一生では足りないと嘆くかは自由だけれど、
未来は見えないから、
ひたすらに生きていればそれがより満足に近いものに近づくと思う。
満足になるという完成語はその先に進めないから残念なことでしょう?
毎日頑張りなさいではなく、その時その時に誠実であれば良いと思う。
自分の心にね。
病気とは長い付き合いになるけれども、
その過程の中で出逢った人や環境でかなり右往左往して来た部分も大きい訳です。
歳なのだろうか。
精神年齢なのだろうか。
発病の前と後の差なのだろうか。
私には苦手な時期の人たちがいる。
ちょうど病気が発症した時期に一緒にいた人たち。
様々なSNS環境下で、今まで出逢った人たちと繋がることが容易くなった。
ここ数年で一気に広まったFacebookを一例で取り上げたい。
Facebookは初期の頃から使っていた。
先駆けで使っていたということを言うのではなく、
海外にいる友人と繋がる際に、彼らが提示して来た手段であった。
なので、現在のFacebookの広まりには驚いている。
Skypeだって同じ国内で使う日が来るとは昔は思ってもみなかった。
ここ1年で特に申請が多くなった気がするのだが、
自分の出身地や学歴を載せると自動的に繋がりやすくなるので
その苦手の時期の人たちからも申請をよく受けて承認した。
だけど、最近、阿呆らしくなって来た。
友人数を増やしたいのか何だか知らないけど、
彼らの多くは変わっていなかった。
病気初期の自分でさえ戸惑っていた時期の私を未だに残し、
今の私を受け入れることなどない。
変化した現在を受け入れずに、過去の私にしがみつき、
未だに腫れ物に触るような扱いをされる。
発症以前の友人とも繋がることが多いのだが、
彼らは絶対にそんな扱いはしないし、
寧ろ成長して、病気にしても仕事にしても恋愛にしても、
何かに付けて、昔では出来なかった成熟した話が出来るようになった。
簡単に一線を引くならば、前者の彼らも後者の彼らも
全員が同い年というところであろう。
なのに何故、こんなに違うのだろう?
発病後に出逢った人は年齢は皆、様々であるが、
幸いにも恵まれていたから、私はいまを幸せと思うことが出来ると思う。
今日が具合悪くとも、明日はひとつ何か出来ることが増えてるかもと、
前向きでいられる心を強く持った。
その一時期の人たちだけが未だに分かち合えない。
話す機会も与えてはくれない。
そんな彼らに傷付かされることもあり、
偶然電話して来た相手にどうしたと聞かれ話すと、
『お前の友人はそんな小賢しいやつらなのか?』
と言われたが、一時期の人間だけに偏った話で、
私の多くの友人はそんなことはない。
・・・小賢しいか・・・・・と思っていた。
私はこの病が原因で去った人間は追わない。
家族は別だけれども、結局、去った当時、
お互いにまだ色々と未熟であったと思っているから。
去った相手がその後、どう変化したかなど知らないから、
敢えて自分から追って、相手を不快な気持ちにさせるつもりもない。
またこっちを向いてくれたら、今の自分で向き合いたいだけ。
なのに、どうして再び声を掛けて来たのは彼らなのに、過去の私と向き合ってるのだろう。
いま存在する私を見ようとしないのは何故なのか。
くだらない柵に捕われていても仕様が無いので
いっそ切ってしまおうかとも思うのだが、ここで切ったら二度と繋がらない気がする。
そう思うと、もう少し頑張ろうかなという気持ちを傷を負いながらも抱く。
繋がりはそこだけじゃない。
これからもある。
解っているのに、誤解のままでというのが引っ掛かる。
私はもう、自分の抱えているいまの病を隠す気はないんです。
恥ずかしいものでないし、それを含めていまの私が構成された。
傷付いたことも、解り合えた喜びも含めて。
転んで出来たかさぶた。
誰でもこの病気はなり得るのだよ。
ある時、躓いて転んだかのようになるんだよ。
一瞬のことで、躓いた原因が直ぐには解らない。
でも、傷を負ってもかさぶたになるから治るんです。
かさぶたを気にしてばかりいて、直ぐに自分で剥がしたりしてると
ただただ治るのが長引くんです。
傷跡も残りやすくなる。
面白がってかさぶたに触れようとするやつがいたら、
治りが悪くなるからやめて!って撥ね除けなきゃなんです。
傷口に絆創膏をずっと貼っていても治りは遅いんです。
やりすぎると絆創膏に傷がくっついちゃったり。
ある程度経って、傷口にバイ菌が入らないなってなったら、
傷口は寧ろ覆い隠さずに出した方が、
かさぶたは早く出来るんです。
もう絆創膏を貼り続けるのも、
絆創膏に傷口がくっついちゃって
剥がすのに痛みを伴って、また傷口が開いちゃうのも嫌。
傷があると、どうしたの?って聞かれる。
かさぶただったら、ドジして転んだって笑って言えるんじゃないかな?
そんなもん。偏見持たれるものなんてひとつも持っていやしないんだよ、こちらは。