最近、高橋ユキさんの出版した「つけびの村」を
田舎に住む人が持つ特有の心理、事件墓(血統が途絶える墓)となった
経緯について知りたいと思い読みました。
夫も実家のある地方から出てきた持ち家に住んで
年に2回(お盆、年末)の帰省を今はしていますが
たまにしか合わない地域の人と交流しても
嫌味を言われないのが
義両親の働きのおかげと本を読んで
気づき感謝をもてたのです。
まさかのまさか!
本の中で集落の人は「都会」のことを「オキ」と表現し、
田舎の人は「オキ」に出てしまう人のことを
「田舎を捨てた」=「裏切り者」
って思うらしいんですね。
似た話で、戦前日本が植民地支配していた
朝鮮、満州から終戦後、命からがら帰還した
家族のことを地域の人は
「故郷を捨てて欲に逃げた人」=「裏切り者」=白い目で見る
っていうのがあったんですよ。
今、過疎地や限界集落は移住者を募集しているが、一方で
過疎地ほど閉鎖的で移住者を排除しているのです。
「拒絶」

さらに限界集落や過疎地ではほぼ
日本の法律が通用せず、
地元のリーダーが絶対的な権力を持っている。
リーダーと親族でなければ集落内で
の地位は低いものとなり、
その村に親族がいなければカーストの
一番下にも入れてもらえない。
「つけびの村」を読んで気づいたのは
意識レベル
/
日本の限界集落は意識レベル200以下なんだということ。
\
地域のリーダーが治外法権的な権利を持っていて(意識レベル 175)
/
一般民は不安を抱えながら村八分にならないように
村の秩序を守り、リーダーにおべっかを使って
先祖から引き継いだ土地、墓、家族を守る(意識レベル75)
ことを欲求ではなく義務感でやっているということ。
\
今回、本を読んで、気づいた義両親の働きというのは
地域の維持活動、自治会、草取り、夏祭りなど準備など
責任を日頃きちんと果たしてくれているから
「信頼」という積み上げた
土台があるのだということ。だから息子夫婦の私達が
年に2回の帰省を
してもなんとかよく来たねと歓迎してもらえている
(地域住民や親戚に嫌味を言われたりしない)

さて、限界集落などの日本の田舎の
一番の問題は意識レベル200以下だという点です。
自己が確立していない上に「境界線」がないので
「噂話」などに翻弄されトラブルが起き
相手に自分を侮辱させたり、
暴言を吐かせたりするし、
自分も相手の権利に勝手に侵入してしまうという怖さです。
なので田舎の人にも理解できる境界線について
考え直していくことにしました!まもなく発表!
↓ ↓
そして保見死刑囚の父親は田畑の持たない非農家で
家族8人(夫婦+子ども6人)での暮らしであったため
生活苦で集落で日常的に米、かぼちゃ、洗濯物を盗み
「友のアカの人」と呼ばれていたそう。
※「アカ」は「泥棒」という方言。
なので保見死刑囚に対する集落の人の共通認識の
ベースが「盗人の息子」
亡くなって10年以上経ちますが、
地域で未だに悪口言われ続ける存在。
その父親の影響で、
親の介護をきっかけにUターンしたものの
「タダで働く」地域の維持活動(自治会、草取り等)
は1回だけ参加。損得で動くのがイヤなのか
その後は参加拒否。
このように集落の人との地道な信頼関係も作ることもせず、
近代的な一軒家を自らの建築スキルによって建て、
そこで「町おこし」をしたいと言っても
家系の積み上げがないので、
ただただ集落の人にとっては「違和感」しか
なく、受け入れられなかったのです。
そして、血統が途絶える無期懲役、死刑になる人の墓の相(事件墓)
保見家先祖の墓①
↓ ↓
地域に自分を受け入れてもらえず「拒絶」され
孤立を深めていった保見死刑囚は
なんと自分でこのフェンスを
事件前に作ったそうなんですね。
二度ビックリ!自分で死刑囚になるための行動を
墓の知識をしらずにやっちゃったんですね。
お寺が出している本のエピソードで刑事さんが
犯罪容疑者の拘引に行ってみると、
そこの仏壇や墓に
新らしい花が上がっていることは
一度もないんです。
とありました。考えさせられますね。
生花が枯れると「死気」を発して墓によくないので
普段は造花を刺しておいて、墓参の時に生花を供え
そして、お供えと一緒に持ち帰り、仏壇や玄関にお花は
飾るのがお墓を清潔に保つのがベストです。
そこでインスタLIVEで「お墓参り」をテーマについて
話しますよ。
8月1日(木)13:30~葵井友梨さんのアカウントをフォローして
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