1550年頃、伊勢平氏の子孫、関氏の一族神戸氏が築いた城。
七代目友盛のころ、信長軍が侵攻。
永禄11年(1568)信長三男;信孝が養子に入り、和睦となりました
本丸(正面の石垣は天守台)
天正8年(1580) 信孝は金箔瓦も用いた五重の天守閣を築きました。
本能寺の変後、
岐阜城に移り、翌年には
秀吉と対立し自刃
文禄4年(1595)天守閣は桑名城に櫓として移築され、その後、石垣だけが遺されました。
本丸の北西の石垣。
二の丸、三の丸は神戸高校の敷地となりました。
(お堀を探索中、数人のランニング中の野球部員
に「こんにちわ!」と元気よく追い抜かれました![]()
彼ら、ごく自然に誰にでも挨拶してるんです。 応援してるよっ
)
また、縄張りの半分近くは、神戸公園となっています。
江戸時代、
城主は一柳(ひとつやなぎ)直盛、石川氏(三代)、本多氏(七代)と移りかわり
明治8年(1875) 城は解体されました。 堀のおおくも埋められています。
というわけで、堀の名残セレクション
信長公の三男でありながら、
秀吉に翻弄され、ついには知多半島の野間大坊で自刃させられた信孝。
わたしがどうしても秀吉を好きになれない理由のひとつです。
信長公への恩義があったら、どうにかこうにか助命するもんでしょ![]()
信孝の菩提寺は亀山市の福蔵寺。神戸城周辺に手をあわせる場所はありません。
公には無くてもどこかにあるんじゃないの?
と歩いていると、伊勢路仏壇の元祖をうたっているお店を発見。
・・・そうだ。伊勢路を南下してみよう![]()






