江戸初頭から一之江新田の名主を代々務めていた田島家の住宅![]()
初代田島図書(ずしょ)は、関ヶ原で豊臣方として参戦後、関東にくだりました。
その際に、田島図書と改名し当地を開発した人物、と伝えられています。
長屋門
名主の身分は百姓ですが、多くは武士のような門構えや玄関が認められていました。
長屋門は外観も立派ですが、住まいや物置にも使えるので、政策的に許可していたようです。
こちらは、右側の門よりに床板を張って穀櫃
左側は床・棹縁天井の居室が設けられていたそう。
主屋(おもや)
曲り屋です。左側(門から入って正面)寄棟造りの屋根が住居、右側の入母屋造りの屋根は土間。
茅葺は、軽くてじょうぶ、油分が多いために腐りにくく、断熱効果・通気性にも優れています。
ただ、虫には弱いので、夏でも燻しが必要なんだそう。
職人も減り、燃えやすいこともあって、現在では法律で屋根材としての使用も制限されているとか。
土間は、脱穀などの農作業や、用具置き場として使われていました。
天井は、根太(ねだ)天井(踏板天井)。屋根裏の収納スペースには水害時に使用する舟も乗っています。
では、住居側へまわります
玄関は式台(板張りの縁を設けた、最初は上級武家のみ許された形式)で、
あがると、天井には槍?が格納されていました。
イリカワ(入側)
座敷と濡れ縁の間です。こちらも武家を迎えることもあるため、武家屋敷にならったようです。
外部から矢を射られたら畳を立てて防衛する、とか想定しているらしい
畳敷きのものは縁(えん)座敷とも呼ばれました。ちなみに棹縁天井です。
ツギノマ(手前)からオクザシキ(奥)
玄関から奥の間まで真っ直ぐに並んでいます。襖あけてたら一直線に突入できちゃうけど、そこは構わないのね
ほかに、ホトケノマ(その名のとおり、仏壇の置かれる部屋)、ナカノマが畳敷きの部屋でした。
イタノマ
奥は土間です。囲炉裏は平成の解体修理で発見され、北関東のものを参考に復元したそう。
火の粉がうえに飛ぶのを防ぐため火棚(ほだな)、鍋などを吊るす自在鉤(じざいかぎ)は新設とのこと。
ナンド
あ、畳でしたね。
窓の外は庭園。部屋には年代物の鏡台と豚の形の蚊取り線香。ここだけ夏の雰囲気
屋敷畑(やしきばた)
現在も、なにかを栽培中
庭園
江戸から明治にかけて次第にととのえられたそうですが・・・現在は、平成に整備された池泉観賞式。
ナンドから眺められたのが、こちらです。
名主は役人さんのような存在ですが。
お城の御殿の感覚でいくと、私的な部屋ってイタノマ、ナンド、ホトケノマくらいな気がするんですが。
あとは、部屋の名前から公のような。
核家族じゃないとおもうんですよね~、ホトケノマで寝たのかなぁ。ぎゅうぎゅうになりそうだけど。
ナンドやナカノマも夜は寝室?
公務があるのに、このシンプルさ。気になる(笑)





自分を厄介者だと捉えてしまってるのは間違いよ。


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