久々の休暇も殆どゆっくり出来ず、終戦の日を迎えた。
今日は門真に運転免許の更新に行って来た。
去年の夏に事故で久々に免停なって一年。平日は車かバイクが殆どで年末に軽微な違反で1点減点、もうちょいで一年、点数返ってくる筈が先日の近所のチクリで駐禁切られ「ヤバいんちゃうか」思てたら、免許証交付の時に「○○サン、ちょっと」…
案の定この前の違反で免停確定。チクッた奴見つけ出してブチ殺したろかと一気に頭に血が上った。
去年の事故かて高速警察隊の人から「アンタさんの車は大変やけど相手サンのトラック殆ど何ともないし身体も大丈夫言うてるから物損で全く問題ないでしょ」の筈やった。
相手方二人に夜帰ってお詫びの連絡して「大丈夫、今後気ぃつけて」笑て言うてたんが後日高速警察隊の担当から電話あって「申し訳ない、一人が喚き出して、再出頭して貰わんとアカンようになりました…」
後日出頭、喚き出した方が診断書2通出して来たとの事やった。運送会社にトラック持込の個人事業主の若僧。この前の詫びの電話ん時と掌返したように「徹底的に取ったる」丸出しやった。
ポリさんも2通目の診断書は「アンタ、ええ加減にせえよ」と突っ返してくれた。そんでも短い方の診断書で3週間…もう一人は一週間の診断書と嘆願書も添えてくれた極めてまともで良い方やった。そやがこの舐めたガキは本人やなく親父が裏で指図しとって関係ないのに「ワシに詫びの電話もないんか」言うてイチャモンつけてきよった。これで詫びに伺うンもアホらしなって後は保険屋に一任して詫びの手紙送ってから一切連絡とらんかった。
車で仕事しとるモンが、3週間以上の診断書出す事がどんな事か分かってやってきよった。警察も呆れて気の毒がってた。繁忙期に免停、去年はキツかった…
あと数カ月で漸く点数戻る筈が、罰金に免停、短縮の免停講習と講習費…最悪のどツボ…
帰りに教習所の近所の老舗の中古車屋の後継ぎのツレんとこに久々に顔出した。
「久しぶりやな~、実はな、今月いっぱいでここ閉めるんや…落ち着いたら連絡するわ…」
元気か~、いうて茶でも行こ思てたんが、頭真っ白なって言葉が引っ込んでもうた…
ここ最近こんだけ色々続くと流石に凹んできた。 仕事も絶不調、ヘバってきてて調子悪い、おまけに免停で動かれへん…
デスクトップPCも急に不安定なってきて立ち上がらんようなってきた。慌ててレッツに仕事のデータコピーしたりメール転送設定したりと、面倒な事が立て続く。弱り目に祟り目…
普段何があっても他人のせいにしたりせんけど今回は「俺がそない何か悪い事したんか?」と流石に暴れそうやった。
悪い時は続くモンやが、こんだけ続くとホンマに心底落ち込んできた。
ツレからは「お前は強いわ」とよう言われとったが、今は久々にボロボロな状態…
今までも身内の尻拭いや借金の立替とか、困った時はいっつも何とかしてきた。自分がホンマにやりたい事は十代で捨てた。それからは真っ先に周りの事を考えて「どないしたら一番ええか」が自分の行動指針やった。現実的で合理的で夢も希望も二の次やった。
そやのに僕が困っとる時は、助けた身内は平気で知らん顔しよる。やってられん…
心身ともにガックリきて、家帰ってからカミさん連れて久々に墓参りに出掛けた。
義理の親父さん亡くなってもう6年なる。
若い頃ホンマに御世話になった。十代の頃に周りに相談できる大人が誰一人おらんかった頃、赤の他人やった親父さんはホンマの親父以上に親身になってくれた。
その頃、親父さんがちょうど一回目の叙勲もらって菊のご紋の入った煙草を貰いながら酒を頂き、夜半まで色々話をさせて頂いた。その後会社の寮に居候するようになった。
最初はそんな偉い人やとは全く分からんかった。
70年の大阪万博の頃は突貫で全パビリオンを親父さんの会社で仕上げた。
工業会でも顔役で、大阪はともかく国内で業界束ねとった権力者やった。
親父さんが長年下請幹事長務めとったゼネコンの副社長に、脳梗塞で倒れた親父サンの後継の件で会社辞めて挨拶行った時
「君に話しても信じられんでしょうが、君の親父さんに戦後すぐGHQの大阪本部に連れて行って頂いたんです。この意味が分かりますか?一介の下請会社の社長に、元請のゼネコン側が頭を下げて御世話になっていたんです。現在の建設業界では有り得ない話ですが、君の親父さんの力は、それだけのモノだったんです。」
親父サンが亡くなった後も、会社を閉める最後まで支払いは翌月現金一括を貫いてくれた。業界では異例やった。親父さんへのゼネコンの最大の敬意と感謝や。
僕が十数年後に親父さんの会社を継ぐ事になるなんて、最初出会った十代の頃は思いもせんかった。継いで2ヵ月であんな大震災が来る事も夢にも思わんかった…
親父さんには御世話になった感謝の気持ちは勿論ある。そやけど、僕の人生を大きく変えられ、誰もおらんようになった会社を一人で何とかしとったのに全く助けてくれんかった事への裏切られたような気持ちも、後継断念した後からかなりの年月は燻っとった。
チンチン電車の走る阿倍野筋に広がる広大な墓地。メチャクチャ広くて、いっつもお墓見つけるまで20分以上かかった。
今日は墓地に入って歩いててビックリする位すぐ見つかった。自分でも気持ち悪い位パッと目に飛び込んできた。まるで「待っとったぞ」と親父さんが呼んでるようやった。
こんな落ち込んだ気分のまま久々のお参りで申し訳ないと思いながら、カミさんと一所懸命に綺麗にした。
掌を合わせて長い事親父さんと話した。ご無沙汰して申し訳なかったと、後悔の念ばっかりやった。
今日で戦争終結67年。昭和天皇の玉音放送で15日が終戦の日と決まった以上、今日が日本国の終戦日。
多数の人が国の為に命を落とされ、敗戦から立ち上がった我が国は、この方々のお蔭で奇跡と云われた繁栄の時代を迎える事が出来た。
終戦の日にお墓にお参りして、そんな色んな事を考えてたら、こうやって食べるモノにも困らず「生きる」事が出来る、それだけで十分有難い事なんやと、改めて思った。
落ち込む事が続いて普段の僕やなく少々弱気になってるんを見越して、親父さんが僕を呼んで励ましてくれたようやった…