3月11日 | A Cheap Log.

A Cheap Log.

Kei

1年の歳月が経過した。

朝からテレビは関連報道を終日放送している。

家内と二人で追悼式を見ていた。黙祷で手を合わせ平成天皇のおことばを賜った後、大阪では予報では降らない筈の雨が急に降って来た。涙雨のようやった。

御身体が大変な中、天皇のおことばに感謝の思いで一杯だったが、この俄雨は宛ら昭和天皇や被災され命を落とされた方々の様々な思いが降らせたように感じられてならなかった…

今更ながらにテレビで放映される当時の映像や被災者の方々の体験は、僕ら遠くにいる者にとっては想像すらできない過酷なものに感じられた。

徐々に様々な事が分かり出し、人間の力が大自然の中ではこれほど脆く力の無いモノでしかないという事を改めて思い知らされた。
護岸対策もある程度の効力があった事は今日の報道で良く分かったが、いざとなれば自然の力には全く対抗出来なかった…

年月が経つと人は忘れて行く。阪神大震災の辛い記憶も、十数年経った現在は薄らいで来ているかのようだが、傷痕は消えずに一生引きずらざるを得ない方々も多々おられる。


震災直後、普段は少々の音にも全く気付かない僕は飛び起き、しがみつく家内を振りほどいて1階に下り電気ガスを全て止めた。暫くしてからTVの電源を入れNHKにチャンネルを合わせた。

京都が震度5と出ていた。京都の旧帝大の100周年工事中であと数日で竣工検査と売上回収間近やったが、万一うちの受け持ち棟が倒壊していたら約1億の回収はどないなるんやと慌てて支度して事務所に行く用意してたら、近隣の化学工場から火が上がり、結局明け方7時過ぎに全焼した。

オフロードバイクで向かった京都は、全く何事もなく大学も無事やった。

携帯電話の普及していない時代やったから、情報収集もままならず、僕は現場事務所で暫く一人で待機しとった。所長らが徐々に集まり出したんは夕方4時頃やった。

所長から「○○社長、あんた悪いがバイクで神戸とんでくれんか?車も電車も駄目なんや…何か大変な事になっとるみたいやけど詳細がまだ分からんねん。」

震災後に最初に見た夜の三ノ宮は、ただ真っ暗で無数の人々が立ちつくしていた。景気が左前になって来とったとはいえ、まだ数年前までバブルやった頃の神戸から灯がなくなり居留地やあちこちの建物や道路が無残な残骸と化していた。

既存の現場管理と神戸の復旧工事で、最初の1年は地獄のような日々が続いた。何も出来ない、何も進まないジレンマを、「がんばろう」という言葉で掻き消し、被災された方々は必死に前を向き生きた。

バイク乗りは支援に走りまわっとった。車道が渋滞で動かん中、歩道をバンバン飛ばして皆が必死に出来る事を考えて遮二無二走りまわっとった。国内でバイクが正義の味方になった最後やった。

先日仕事で神戸の方を車で走っていて、震災直後の風景を思い出していた。

国道沿いの建物が、軒並み1階部分が崩れて2階が下に落ちて来とった。復旧で入った大手工場の高層棟は「ピサの斜塔」状態になっとった。地ベタは軽く1m以上は陥没し、当初は大手5社の連中もどないしていいか即座には判断できん状態やった。
こうした「現実」は広範囲に亘り、僕は正直3年以上はどうにもならんと思っていた。


復旧は予想以上に猛スピードで進んだ。皆の不眠不休の努力の賜物やと正直思う。


昔の神戸には戻れない。そやけど今出来る事を粛々とやっていかんと、精一杯生きて行かんと、命を落とした人々に申し訳ない…そんな思いが復旧をこれだけ早く推し進めて来たんやと、車の中から辺りを眺めていて強く感じた。


昔の友達で結婚して嫁いでいった女の子は、数日後に電話で安否確認できた。「もう大変やってん。旦那叩き起してパジャマのまんまで逃げ出したんや。」大阪市内の金持ちの良家のお嬢やったあの子が、そんなカッコで脱出して来たんか…近隣の方々は、大半が命を落とされたようやった。



2004年のスマトラ島沖の地震の時、当時仕事を介してチョコチョコお世話になってた親父さんも、数ヵ月後に安否確認が出来た。

カタギやない方で、深夜のテレビに目を隠して出た事もある親父さんやったが、気があって当時は仲良くさせて貰っていた。

「○○な、みんなアホや。地震来た、逃げなアカン、俺らサッサと支度して逃げ出し始めとっても、ビーチに寝転んどる白人やらそのまんま寝とんねん。津波が来てもそのまんまやった。みんな死によった。」

昔から悪運が強かった。いつも間一髪で後ろに手が廻らんと逃げ通しとった。一般人と異なる人種やったから、こうした洞察力や勘は並はずれたモンがあった。


いざという時、直感だけが最後の頼りとなる。皆、頭では分かっていても、いざという時に何をしていいか即座に判断するのは本当に難しい。それでもこうした判断が、自分自身の命運を最後に左右している。

「いざ」という時は、本当にいつ来るか誰にも分からない。避難訓練も本気になって取り組めば、いざという時には必ず役立つ。

肝心な事は普段から「危険予知」の感覚を鍛えていく事。

身近にある「危険」に対し、日々どう感じ取り予測力を蓄えていくのか?

電車のホームに立った時、自動車や自転車の運転中、何気なく歩いている際の周りの気配、等々…

「備えあれば憂いなし」の言葉通り、急に出来ない事は多々ある。身近な動物達より鈍感になってしまった人間が、いざという時に対処できるようになる為には、こうした日々の「訓練」しかない…


神戸の被災した方々も、自身の目の前で身近な人を助けられず死なせてしまったと今も自分を責める方々は多々おられる。人格破壊で廃人同様になってしまった方もおられる。


「強くなる」しかない。「受け入れる」しかない。

記憶はいずれ過去のモノとなり薄らいでいく。フラッシュバックする事も年月が過ぎ去ると減っていく。

過去に震災に遭遇しても、当時の記憶はすぐ引っ張り出せない。「今」の自分しかない。

一人では何事も出来ない「人間」という生き物が、「神のみぞ知る」天変地異に晒された時に唯一取れる手段はそれしかない。

その為には僕らが「生きる」意味を噛み締め、「生かされている」事を自覚し、日々自分なりに精一杯生きるという事しかない…