朝スタバでのボーっとする時間は、色々なことが浮かんでは消えたりの繰り返しです。そして自分を見つめる大切な時間。そんな中、普通という言葉が浮かんできまして…

この前、五体不満足を書かれた乙武さんがテレビに出られていて、普通について語られていました。

普通というのが、数と繋がるのが危険…そんなお話でした。
確かに、一つの集団の中で多数派の意見が主流となる。でも他の集団では、その意見が少数だと、普通で無くなるというのは、学校、会社、ママ友など、確かにある事です。

多数派に属すると安心するのは、自分を見つめられていないからなんですよね。本当に何が正しいか?普通=正しいでないことは、今までの人生振り返り、つくづく思います。

普通という言葉に惑わされない様に生きていかないと、知らず知らずにカルマを積んでしまい、来世にまた持ち込んでしまいます。

スピリチュアルな勉強をすると、清らかな魂であららたいと思い、そのための勉強を生きるという中でしていきます。

私は、ヒーリングの師である先生とご一緒する時、必ずといっていいほど霊的体験をします。本物のサイキックな方の近くにいると、不思議なことが起こります。

そんな中、清らかな魂に触れたことがありました。私の魂も、こうありたいと思い、ヒーリングを仕事にしながら生きています。

あっ、少し熱くなりましたが、私の中の普通という言葉は、かなり曖昧。
様は自分自身だと思います。



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