堀切への旅 その4 大黒屋 過去ログ転載 | leraのブログ

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堀切への旅 その4 大黒屋 2011.1


horikiri06


 あの時代、便宜的に「アルバイト時代」と名づける。

 その時、私はアルバイト仲間のバンドに加わっていた。控えのベーシストというポジションだった。そのバンドはグランドファンクレイレロード(GFR)のコピーバンドで、月に1,2回四谷スタジオで練習をするのだが、それは練習ではなく「公演」であった。

 つまり、事前にGFRのアルバムを決め、その全曲を演奏するのである。時として聴衆もいた。
 そんな関係で車の中では常にGFRを聴いていた。歌詞とベースのフレーズを覚えるためである。

 そのバンドのベーシストが、あるライブで聞いたと言う日本の女性シンガーの録音を聴かせてくれた。透明感のあるハイノートにとても魅力を感じた。その時代性もあるのか、日本語の歌というものに接する機会が少なかった。だから新鮮だったのかもしれない。
 モップスはライブハウスで聴いていた。

 しばらくすると、そのシンガーがアルバムを出したというので、カセットをもらった。それを車で聴くようになって、GFRは聴かなくなってしまった。だから夜とその曲が連動するのである。

 小島屋のカウンターでハイボールを呑みながらぼんやり相撲を見ているときに、突然その中の一曲が脳裏を占めたのである。おそらく聴かなくなってから30年は経っていると思う。
 その歌と歌詞が頭から離れなくなってしまったのだ。しかし、アルバムタイトルも曲名もわからない。

 堀切の沿線上に住んでいる同級生のところに行こうと思いたった。
 彼はそのバンドとの接点は全く無かったのだが、ある時期同じ「音楽生活」をおくったことがあったからだ。

 結論は簡単。
 彼は全く知らなかった。そして、二人で「大黒屋」で呑んだ。

 実はこの「大黒屋」に関しては曰くがある。

 2009年12月30日に同級生の家に遊びに行った時に、同級生夫妻が「いい店を見つけた」と言う。
 「どんな店?」と聞くと、「さくら湯の近くのホッピーという看板のある店」と言う。なんと正確な場所も店名も分からないし、入ってもいない。「外見がいい」というだけの話。

 すごく気になって、翌日大晦日に「さくら湯」というキーワードだけで探しに行った。長年の培ったカンはたいへんするどく、すぐに見つけた。確かにいい店だ。いい店のはずだ。暖簾は出していないものの、中に人がいたので聞いてみたが今日はやっていないとのこと。つまり入ってはいない。

 その店に1年かけてようやく到達した。とんだ長旅である。







堀切への旅 終章 過去の時点への焦燥


 大黒屋からの旅を終え、ある過去の時点で毎晩聴いていた音源を探す旅に出た。かなり長い時間がかかったものの、自宅の400本近いカセットテープのコレクションの中にあった。

 その歌はこういう歌だ。

だれも知らないこの町のなかで
だれにもあわず ひとり
見るものはすべて今
あわく むなしい

だれもいない この部屋のなかで
なにもいわず ひとり
ものおもいに沈むとき
目をとじる わたしは

だれでもいいからすぐに来て
だれかがそばにいてほしい
だれでもいいからすぐに来て
だれかがそばにいてほしい

だれもいない

だれもいないこの部屋のなかで
なにもいわず ひとり
ものおもいに沈むとき
目をとじる わたしは

だれでもいいからすぐに来て
だれかがそばにいてほしい
だれでもいいからすぐに来て
だれかがそばにいてほしい

だれもいない

だれもいない

 ある過去の時点に対し、突然激しく思慕の念が生ずる時がある。
 その時にはなかったものである。
 その意味について考えさせられる、なぜなのか、と…

 ひとつには、その当時には気付かなかった価値に気付くことである。
 過ぎ去ってみれば、彼女との関係は実に素晴らしい関係だった。恋愛関係とは全く別の次元だったとは思うが、有意義で濃密で安らぎさえ覚える関係だったと思う。

 もうひとつには、その過去の時点における自らの可能性を感じるからだ。
 それがその当時気づかないからこそ、過去の時点の自分について激しい焦燥を感じるという、単純なアンタゴニズムではない自己内葛藤が生ずるからだ。

 所詮人生なんて、後悔と慚愧が98パーセントで、残りの2パーセントが自己愛…らしいから。