ジャーナリズムの命 2008年07月16日
先日ジャーナリズムを研究する会に出た。
毎回のことだが、この国にはジャーナリズムがないことが話題になるが、もっとひどいのは権力に協力するメディアの存在であった。
志布志事件では南日本新聞の記者が、虚偽自白を勧めた席に同席していたと言う。いくらなんでも驚いた。その新聞は犯人視報道の先頭を突っ走っていた。
ジャーナリズムは警察の捜査や、警察の犯人視に独自取材をすることに存在価値がある。というよりそれしか存在価値が無い。判決があったらその尻馬に乗るのではなく、判決を批判する立場で報道すべきである。
テレビも同様である。
取材のしやすいところ、絵(画像)のとりやすいところの報道しかしない。取材のしやすいところというのは、権力を持たない弱者で、秋葉原事件の実行犯の両親ということになる。
さらに秋葉原の献花台から飲食物を持ち去る人をつかまえ「どんな気持ちでやっているのか」「犯罪ですよ」と迫る。
メディアの目的とはなんなのだろう。
視聴率のためにオリンピックを批判できないメディアに、少しはまともな報道を求める方が無理なのかもしれない。しかし、これを放置しておくと弱者ばかりが俎上に乗る時代になってしまう。
北海道新聞が警察の裏金事件で道警に完敗した事実は実に大きい。