慰安婦問題の残渣
慰安婦は映画にも登場する。
『人間の條件』や『血と砂』などであり、それは慰安婦問題が政治問題化するずっと前のことだ。つまり誰もが知っていたことなのだ。
『人間の條件』は慰安婦の他に多くの戦時性暴力が出てくる。それらが批判されたという話は聞かない。
映画人の中でも証言がある。
http://ameblo.jp/stone2/entry-11553948730.html
そこで強制性を問題にする傾向がある。
安倍晋三曰く「強制を示す資料は無い」
加害証言にもあるが、戦後戦犯の訴追を恐れて多くの「証拠」が焼却され、それは慰安婦問題でも同様だ。
焼却をした側が資料がないことを理由にして否定するのは詭弁である。
かつて横浜事件の再審請求は裁判資料がないことを理由に棄却された。
判決文を含んだ裁判資料が無かったのは、同じ理由で裁判所職員が焼却したからだ。それは戦後の司法関係者の座談会であきらかになっている。
裁判所が焼却したのに、その資料がないことを理由にその裁判所が請求を棄却するのは詭弁である。
また、法治国家を否定するのなら対応のしようがないが、もし法治国家であるとするならいくつかの裁判で強制が認定されている。
もし強制を否定するならその裁判の判決文から批判しなくてはならない。
さて、残渣とは何か?
女性戦犯法廷のテレビ番組の「改変」を強く要請した人々のことだ。
現代社会でこれほど無残なことはない。
戦争にはふたつの階層がある。
戦争で利益を得る層と、戦争で被害を被る層である。
戦争で利益を得る層とは、兵器を売って利潤を得、戦後復興で利益を得、復興後資本投下して利益を得る層のことである。
戦争で被害を被る層とは一般市民のことだ。
戦争を防ぐ手段はひとつしかない、市民の連帯だ。