演歌の花道 2007年08月21日
ジャズ評論家の油井正一氏は都はるみのファンだったと思う。
くつろいだ時に聴くレコードは?というスイング・ジャーナル誌のアンケートに「くつろいだ時はジャズは聴かない、都はるみを聴く」と答えていた。
中上健次との関係など、その当時は不明なので、単なるファンだったのではないかと思う。
私も演歌が好きだ。
厳密に言うとテレビ東京でやっていた「演歌の花道」が好きだった。
この番組はセットの中で演歌歌手に唄わせる趣向で、来宮敦子のナレーションもよかった。なにがいいのか?哀愁と寂寥である。
寂れた港町の居酒屋の暖簾の前で歌手が唄っていると雪がはらりはらりと降ってくる。それが日曜の晩だから居たたまれない。死にたくなるような寂寥感に包含される。
なぜ寂寥感に惹かれるのか?わからない。ファドのサウダーデと同じかもしれない。
ところが演歌の歌詞には「確定的な意味」のある言葉は少ない。聴き手の裁量範囲が実に広いのだ。だからナンセンス歌詞とは基本的に違う。そして政治性を問われないポジションにある。あるいはそのようなポジションから疎外されている対象を見ているのかもしれない。
小比類巻かほるは、アメリカ西海岸でロドニー・キング事件に端を発した「暴動」に接したことがあるし、「マーシーミー」では死んだマーヴィン・ゲイ(ワッツゴーイングオンなどベトナム戦争に対する歌がある)について、彼が訴えた優しさについて唄ったし、故郷の話の中では米軍キャンプのアフリカ系アメリカ人へのシンパティーを語っている。
その彼女が国立競技場で「君が代」を歌った。
彼女はその後自己批判するのだが、演歌よりポップス色の強い小比類巻かほるの方が政治的なポジションに立たされるというのは皮肉に感じた。
ところが「演歌」の語源は「演説歌」なのである。
明治維新の自由民権運動の中から生まれた壮士節が元である。薩長藩閥による言論弾圧に対する抵抗の一形態として、歌に託して民衆に訴えたのである。(添田知道著「演歌師の生活」)
演歌第一号として大ヒットしたのが「ダイナマイトどん」である。
その後演歌は、露頭の啖呵売と結びつき香具師との関係を深め、社会主義やアナキズムの歴史に関わってくる。
意味の無い歌詞が増える時代が、危険な時代だという予感を感じている。