道徳の教科化と「教育界」における思想動員 2007年03月30日
例の教育再生ナントカが「道徳」の教科化を提唱したと言う。
教科になると、成績もつくし教科書も検定の対象となる。成績が低かったら「この、不道徳者!」とか「不埒者」とか罵倒されるのであろうか?
現在少年法の改正案も出ていて、少年院への入院年齢制限を撤廃しようともくろまれている。保坂議員の「5歳でも少年院へ入るのか?」という質問に提案側は否定しなかった。
「道徳」の教科化は思想動員にならないのであろうか?それとも孔孟の教えだから宗教教育の一環になるのだろうか?
先日、小樽商大の荻野富士夫氏の講演を聴く機会に恵まれた。
荻野氏は「思想検事」「特高警察」「治安維持法」「言論弾圧」というキーワードで研究を続けているが、戦争時の教育問題にも関心が高い。
今回は「治安維持法と思想動員」というタイトルであった。その中で教育環境が戦争というものを眼前にしてどう変わって行ったかを辿ってみる。
1890年 教育勅語制定
この頃は勅令主義であり教育に「法律」はなかった。
1920年代 大正デモクラシーの中で自由教育主義がでてくる。
1928年 3・15事件を機に治安強化策がとられる。文部省に学生課、大学に学生主事、高校などに生徒主事を配置。これは学生思想運動の監視体制となる。
1929年 学生課を学生部に拡充。学生課長は内務官僚で特高経験者。
つづく
現在、生徒会のない学校、新聞部のない学校は珍しくない。論議をしたり、意見表明をしたりする機会が極端に減っている。これは「教育」に逆行するものだ。
教育学の佐藤学氏は「学校再生の哲学」(現代思想2007年4月)のなかで
(佐藤氏が提唱している)「学びの共同体」は他者の声を聴き合う関係を基盤として成立している。「他者の声を聴く」ことは学びの出発点である。学びはしばしば能動的な活動として語られがちだが、むしろ学びは「受動的能動性」を本質としている。
と言っている。
さて、つづきである。
1932年 「国民精神文化研究所」設置。各府県に国民精神文化講習所を設置し、師範学校教員の思想再教育を開始。
1933年 長野県教員赤化事件、滝川事件。政府は「思想対策協議委員会」を設置し、思想取締りと思想善導に入る。
1934年 学生部を思想局に拡充。
1935年 天皇機関説事件。大学から憲法学説が追放され、「国体学」「日本学」講座の開設。
1937年 文部省「国体の本義」刊行され「聖典」となる。中で「我が国民思想の相克、生活の動揺、文化の混乱は…国体の本義を体得することによってのみ解決せらる」
「共産主義思想の排除」「個人主義の排撃」し「日本精神を根本として実践に重きをおき、国民的性格の涵養に力を注ぐ」錬成教育の実施。
1939年 東京において錬成教育の大展開。礼と行の鍛錬を重視。
1940年 17000名の市立小学校教職員への錬成講習。2泊3日の塾的鍛錬。
「国民学校を、皇国の進むべき大道たらしむるには、教師自身が皇国の進むべき道を確認し、確固たる国家観、人生観を把握し教育実践せねばならぬ。神前に叩頭いて、思いを神武天皇肇国の古に馳せ、惟神の精神を体現せねばならない」
1941年 教学局「臣民の道」刊行し国民の必読書化される。中で「勤務はすべて天皇に仕へ奉るつとめの真心から出発しなければならない」
1942年 国民思想指導の徹底。「敵の思想謀略に乗ぜられることなく…」
1943年 「教育の任務は日本の戦闘力を強めること」「子どもにもっと戦争ごっこをすすめて敵愾心を吹き込まねばならない」
1943年 学徒出陣
1944年 文政研究会「文教維新の綱領」刊行。総論に「皇国の道に則る錬成」の中で「児童の能力や心理を無視しても、日本人錬成のための厳しい修練が施さなければならない」
学徒勤労動員については「学校教育の停止ではなく、より実践的な教育の展開であり、学校教育の拡大強化であり、本来の姿に返った」
学童疎開については「体練上は絶好の機会」「困苦欠乏に耐えつつ烈々たる攻撃精神を涵養する」
1945年 敗戦。
錬成教育などは現在教育委員会がやっていることである。この流れを確認することはけして無駄ではないだろう。