セクシィ・ギャルの大研究 2010年07月01日
上野千鶴子先生の「処女喪失作」(ご本人の弁)。
アメリカの社会学者ゴフマンの『ジェンダー・アドバタイズメント』を翻訳しようと思ったものの、翻役よりゴフマンの方法を応用して日本の例を分析してみよう、と思ったのが執筆動機。
例えば、男性週刊誌の表紙に女性が多いのは分かるとしても、何故女性週刊誌の表紙も女性が多いのか?という疑問に「広告・宣伝」の例をもって答えを用意している。
「女が女を見る目は、男の目になっている、あるいはならされている。女とはまさに、そういう「しかけ」の中に生き、生かされている。同じ「しかけ」でも、こっちの「しかけ」に気づいてほしい。もっとも、その「しかけ」自体が、女にとってつごうが悪いものなのか、それともとっても居ごこちのよいものなのか、それを決めるのは女次第だが(男にとっては、つごうがよいに決まっている)」
社会学的アプローチというより、心理学的アプローチに近いかもしれない。
「広告・宣伝」の写真やポスターの実例を用い、実にすっきりと説明していく。これは彼女以外の誰ができただろう。だから男性学者の嫉妬をかっているのか?
女の困難さを語っているのだが、性の自由化の中で男の困難さも語っている。例えば、
「性的自由競争の落ちこぼれたちを、救済する手段はどこにもない」
「親戚のおばさん連中が嫁さんをくっつけるという救済措置も期待できない」
「鬱屈したルサンチマンは、攻撃衝動となって爆発する」
「性が自由化したならなおさら、性犯罪はなくならない」
かつて沖縄で米兵の少女強姦事件があった時に、ある高官が「なぜ、金で買わないんだ」と思わず口走ったことを連想した。