ヨーロッパ中世史で偉大な業績を残した阿部謹也先生は2006年に亡くなった。『北の街にて』には小樽商科大学時代の学生運動のことや、ドイツ留学のことが書かれていて私の好きな書籍のひとつである。
ヨーロッパと日本の違いが「罪の意識」であるとし、フーコーを引用する。
「個人としての人間は、長いこと、他の人間たちに規準を求め、また他者との絆を顕示することで自己の存在を確認してきた。ところが、彼が自分自身について語り得るかあるいは語ることを余儀なくされている真実の言説によって、他人が彼を認証することになった。真実の告白は、権力による個人の形成という社会的手続きの核心に登場してきたのである」(『知への意志』)
ゲルマン民族の原初の世界意識を伝える「エッダ」や「サガ」には本来、天国・地獄の図式は無かった。彼岸はあったし、死者の国のイメージもかなり具体的なものであった。しかし、現世での善行・悪行が精算される場としての天国や地獄のイメージは、あとからキリスト教によって導入されたものである、と言う。
そして、死者のイメージは、キリスト教導入以前は「粗野でたくましい」。
アイスランド・サガ(例えば、「片手のエギルと暴漢殺しのアスムンドのサガ」)では、死者が生きている人を食べたり、死者が妊娠したりする。(死者が産んだものは人間ではないが)
キリスト教導入以後は「哀れな姿で救いを求める」。
この死生観の変化が「罪」である。
キリスト教では生前の善行・悪業で天国か地獄の行くのであるが、キリストが来臨する以前に洗礼を受けずにいた族長や預言者といった「義人」たちをキリストは救っている。つまり、死後に状況が緩和される可能性を示している。これは天国か地獄以外の第三の場所があることになり、12世紀に「生まれる」煉獄と時期が一緒だと言う。
アウグスティヌスによれば4種類の人間「天国に直行する者(殉教者、聖人、義人)」「地獄に直行する者(無信仰者、異教徒、犯罪者)」「不完全な善人」「不完全な悪人」がいるという。不完全な善人は浄罪の火をくぐれば救われる場合があると言い、それが煉獄の思想の発端である。(これはル・ゴフの指摘)
12世紀に煉獄のイメージができ、煉獄で苦しむ死者が生者に対して救いを求める哀れな姿が定着するという。
本書のもうひとつの特徴は5,6世紀に現れた『贖罪規定書』(Libri Poenitentiales (Bussbücher))について詳しく述べられていることである。そこで「罪」を規定している。現在の罪刑法定主義のベース(笑)のようなものである。
そこには教会の「罰」も科せられのだが、面白い事に「代人」を立てることができた。例えば「罰」が7年間の断食だったら120人の人間7組に三日間の断食をさせ7年分とできた。またできない者は金銭で払う事もできた。
例えば「相手の物を自分の物にするために意図的に人を殺した」場合。現代では強盗殺人かもしれない。この罪に対する「罰」は40日間水とパンだけで暮らし、それを7年間続ける。結構罰は軽い。
キリスト教は国家権力と結びつき民間信仰に強い攻撃をかけた。
それはキリスト教の教義に則した日常生活に再編成しようとするものであり、カール大帝がカロリング・ルネッサンスの目的とした人民の教化の手段であった。その最前線に立っていたのが教区の司祭たちであり、『贖罪規定書』だったというわけである。
