『人生劇場 飛車角と吉良常』
藤の出がいい。赤い湯文字を着ていて背中しか見せない。顔は見えない。そして「あたしのような蜂の巣だらけの女でも、幸せが残っていたのね」と言って渋団扇を噛む。正直言って痺れます。
任侠映画のもうひとつのモチーフは『明治侠客伝 三代目襲名』で代表されるが「悲恋」だ。この作品もそうだ。薄幸である故、人に魅かれる。その男も薄幸なる女故魅かれる。そこに義理がかかわってくる。藤は横浜のチャブ屋を足抜けし、玉ノ井に落ち、三州吉良(愛知県西尾市)に流れるという幸薄い女性を演じて素晴らしい。
藤(おとよ)は、「そこにいる男の人の親切に引かれる」と言う。それは薄幸なるがゆえなのだが、そこで飛車角(鶴田浩二)に惚れられ、宮川(高倉健)に惚れる。
鶴田も高倉も、藤に惚れたから死を選ぶという大悲劇。
吉良での再会も、任侠映画の様式美故の再会だ。とにかく藤が素晴らしい。
キネマ旬報社で出版した『女優 富司純子』のこの作品の解説には「吉原の女郎になり」となっているのだが、どう見ても玉ノ井である。
山城新伍が「おとむらい 谷中だと聞き おやじ行き」という川柳を引き合いに出す。高倉が親分(江東区砂村の小金一家)の名代で谷中の葬儀に行ったことを思わせる。そして、乗り物に乗っているのだが「大川を渡った」というセリフがある。谷中から大川(隅田川)を渡ったら、墨田区である。問題はこの乗り物である。
玉ノ井には東武電車の他に京成電車があったが、京成は大川を渡らないのである。
鉄道に見えるが違うのかもしれない。
そして、高倉が山城を馴染の店に連れて行くが、「ぬけられます」「安全道路」という看板があり、完全に玉ノ井である。
そこで気になるのは藤の前借金である。
吉原と違って玉ノ井は自前が多く、そこが人気があったと言われている。つまり女たちは自由で、その言動が人気の元になった。ただ全員が自前ではなかったとは思う。
1968.10.25
東映東京
監督:内田吐夢、原作:尾崎士郎、脚色:棚田吾郎