「月はどっちに出ている」と「月はどっちに出ている」
2013年3月30日に東京国立近代美術館フィルムセンターで崔洋一監督作品の「月はどっちに出ている」(1993)の上映会があった。上映後に監督のトークショーがあったために(私は不参加)に310名の客席はほぼ満席であった。
監督は上映前の挨拶で「とにかく笑って欲しい」と言っていた。
原作は『夜を賭けて』『血と骨』のヤン・ソギルであるが、この有名な映画作品に私は初めて接した。それだけに新鮮であった。
「ハンカチ(涙)と拳(抵抗)はもういい」という言葉は若い在日たちから出て来た言葉で、自分たちの等身大の表現を求めていたことが分かる。(これは『被差別部落の青春』に通じると思う)
結論から言うと大変よくできたライトなコメディであり、よく笑えた。批判を恐れずに言えば「ハンカチと拳」のものは作りやすい、しかしそれをコメディに仕立てるのはそれほど容易ではない。なぜなら底流のテーマはけしてライトではないからだ。
そのテーマとはアイデンティティーと言えば普遍的なのかもしれないが、要は在日であり、一世ではない日本生まれの在日の現在がテーマだ。たとえば主人公(姜忠男、通称神田忠男ことチュウさん)のタクシー運転手仲間がこういう。
「オレは朝鮮人は嫌いだ、だけど忠さんは好きだ」
「忠さんは朝鮮人なのになぜ日本語がオレよりうまいんだ」
ある客が運転手の氏名プレートを見て
「あ、その字読める、生姜のガだよね。ガさん」と言う。映画の後半で彼は自分から「ガ」と名乗る。
これらの会話から彼が持っていないものが分かる。民族名ですら自分の物ではないのだ。民族名にアイデンティティーをもてるほど祖国を実感していない。
また、そのガと呼ぶサラリーマンがタクシー料金を踏み倒そうとして、追跡し払わせた後にお釣りを払い礼まで言う。なぜか?在日だからである。警察の視点を見る。
金融業をやっている同胞が
「同じ条件だったら金は日本人に流れる」と言う。
結婚式のシーンで総連系と民団系に分かれ、民団の歌があったのだから歌わせろと総連系の人が司会者にねじこむ。何度も言われ司会者がその希望にそうと、民族楽器の太鼓を打ち出す。笑える。
式場でナンパしようとする。母親から結婚相手は、日本人はダメ、外国人はダメ、韓国南部の地域名をあげそこもダメと言われているからだ。出身校も朝高と韓学とに分かれる。笑える。
なんで笑えるのか?在日の若い世代が翻弄される様がおかしいからだ。「可笑しい」と「オカシイ」である。
忠男の母は10歳で日本に来て苦労の連続だった、と言う。忠男の兄弟は共和国に残している。母親は食品や日用品をせっせとダンボールにつめ「祖国」に送ろうとする。金の入った封筒を見つからないように箱の底の返しにガムテープで張ってやるのは忠男である。送り先が共和国であることは分かるが、なぜ送るか全く説明はない。10年前ではできなかったのかもしれない。『ディアピョンヤン』や『かぞくのくに』ではもうお馴染みである。
元々この映画を作るのに10年以上を費やしている。なぜなら在日映画だからだ。
その後在日映画はそれほど珍しくなくなるので、最も最初に現今の現実的在日テーマを掲げたのがこの作品かもしれない。
女優賞を総なめにしたルビー・モレノは素晴らしい。
彼女以外のキャラクターは考えられない。
「月はどっちに出ている」は道に迷うタンシー運転手が本部に言われる言葉であるが、忠男が自分はどこに居るのか?を問う言葉に聞こえる。
なぜタイトルが「月はどっちに出ている」と「月はどっちに出ている」なのか、というと…
映画より先にWOWWOWで38分の短編が作られ、それと同時上映したからだ。こちらは主演男優が違う。短い尺ありながらエッセンスは伝わる。
今月初DVD化というのも驚きだった。