映画『略称連続射殺魔』
1960年代に新宿に「ヴィレッジ」という言葉が入った店名を持っていたジャズ喫茶は三軒あった。ジャズヴィレッジとヴィレッジゲートと、そしてヴィレッジバンガードだ。
そのヴィレッジバンガードに「連続射殺魔」と略称される永山則夫がボーイとして働いていた。そこにはビートたけし(北野武)もほぼ同時期に働いていた。その店は1969年10月31日に閉店するが、そのオーナーは後に六本木にペントハウスという隠れ家的な店を出し、ミュージッシャンの溜まり場となった。そのオーナーに何回か永山の話しを聞いたことがある。
この映画は元々公開されることを前提としていなかった。
音楽監督を務めた相倉久人は著書『至高の日本ジャズ全史』の中でこう言っている。
―この映画のユニークなところは、ノンフィクションという前提を打ちたてながら、もはや獄中にいる永山をどう撮っていくかというその手法にあった。(略)とにかくカメラを持ち、永山のたどった所を片っ端から撮っていこう、ということになった。(略)一度も公開しないという取り決めになっていた。(略)だから何年か後に御茶ノ水の日仏会館ホールで試写があったときは、「なぜ公開したのか」と批判を浴びせられることになる。―
(音楽は富樫雅彦と高木元輝が担当したが、富樫は1970年1月に脊髄をナイフで刺され下半身の機能を失ってしまう。よって下半身が動いた最後の演奏となる)
また、製作の松田正男は『風景の死滅』(田畑書店)の中でこう言っている。
―「下層社会に生まれ育った一人の大衆が、(流浪)という存在態においてしか自らの階級形成を遂げざるをえなかった時、したがって私たちが永山則夫の足跡を線でつまぐことによってもう一つの日本列島を幻視しようと試みた時、意外というべきか当然と言うべきか、線分の両端にあるところの点として、風景と呼ぶほかはない共通の因子をも発見することとなったのである。そして、それは、この日本列島において、首都も辺境も、中央も地方も、東京も田舎も、一連の巨大都市として画一化されつつある途上に出現する、語の真の意味での均質な風景なのであった―
映画は永山が流浪した足跡を丹念に追い、その風景を切り取ってゆく。しかし永山の逮捕された翌年に製作されたので多くの事実があきらかになる前でもある。
永山は小中学校の家でも含めて実に多くの流浪をするが、それは彼がどこにも帰属していない、あるいはできないことを示している。彼は集団就職で入った渋谷の果物店ニシムラを初めとして、職を転々とするがそれは高度成長期の日本の風景でもあった。
高度成長期は、地方からヒトやモノを都会に吸い上げ、商品を地方にばらまいた時代で、あたかも地方は都会に同化されようとしていた。それは松田が言う「巨大都市として画一化されつつある…」だったのだ。
しかしというより、だからこそ、都市と地方の蹉跌は解消される訳もなく、同化が同質化ではなく隷属化であることを知るのはバブルが霧散してからだ。
しかしその蹉跌が生んだ犯罪は、人間関係、家族関係の遺棄の中に形成されたと言えるだろう。低学歴という未組織化の母体、集団就職という分断環境、若年労働という営利手段の犠牲…それらが作り上げた多くのものの中のひとつにすぎないのであろう。
兄弟を保証人として住み込み労働をする店を次々に辞めていく無惨は、少年期を与えられなかった無惨に思える。成長期、労働市場、利益至上主義、などの犠牲者だったと思う。だから後に彼が『資本論』を読んで深く感動する心情が手に取るように分るのだ。初めて触れる真理だったからだ。
この作品を作ろうとした人々、あるいは関わりを持った人々がその風景を追ったのは、「自分であったかもしれない」という意識だろう。その風景に永山を見て、そして自分を見ようとしたのだ。
この作品は1969年に作られ、公開されたのは1975年である。そしてバブルが霧散するのが1984年からで、そこから地方の切り捨てが始まり、利益至上主義の後遺症である少子化を伴い地方は限界集落と地方の人々を疎外する観光地しか残らなくなり、挙句に企業は「グローバル化」し、「日本」をも棄て始めた。
そして、永山則夫の死刑が執行されるのが1997年8月1日である。
よって現在見ることに意味がある。高度成長とバブルと死刑執行を知っているからである。時代と時代環境、そして永山が何を象徴していたのか?
そして、永山を殺すことにどんな意味があったのか?
この映画のタイトルは
「去年の秋、四つの都市で同じ拳銃を使った四つの殺人事件があった。今年の春十九歳の少年が逮捕された彼は連続射殺魔と呼ばれた」