いわゆるオリンピックという名の行政行為について | leraのブログ

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いわゆるオリンピックという名の行政行為について





 オリンピックがアマチュア規定を放棄したのはサマランチからか、商行為になったのはロゲからか…





 しかし日本あるいは東京の特殊性がある。


 会計が不明なのである。長野では帳簿を「紛失」し、今でも不明である。東京の招致委員会は朝日新聞が情報公開制度を用いて、会計資料請求したら「不存在」と回答し当紙がその旨報道しようとすると「探したらあった」と言い出した。


こんな不誠実な人達に公金を自由にさせてはいけない、というシンプルな話。





 東京の招致委員会が電通に5億だか6億だかで発注したアニメは「出来がいい」という評判だが、どこで見られるのか知らない。


 また、東京都は2020年夏季五輪に都費1300億円を投じるようだ。それから言えば5,6億のアニメは安いのだろう。





 


 鈴木直文氏(一橋大専任講師)が1月26日の毎日新聞でこう言っている。(私が要約)





・経済効果の試算は無意味、仮定に基づきだれも検証できない。





・試算は経済活動の純増分を算出すべきで、「オリンピックがあることで起こらない経済活動」や「オリンピックがあってもなくても起こる経済活動」「オリンピックによって前倒しで起こる経済活動」を割り引かないといけない。これらを考慮すると経済効果が大きくない事は国際的に定説。





・国内外から来た人が落とすお金はスポンサーであるグローバル企業が吸い上げ地域循環しない。





・日本選手の活躍で飲食機会は増大するが、可処分所得が増大する訳ではないので他の所で控えるはず。





・経済効果のことを言うのなら、インフラ整備の公的支出の増大を言うべき。財源がどこから来るかが明記されて初めて成り立つ話。





・別の所に投資するはずだった資金をオリンピックに使うという論議も必要。





・オリンピックは無条件にいいものだという前提は大変危惧する。





 以上。





 もう誰もクーベルタンのオリンピック思想について触れる人はいなくなった。クーベルタンの思想を持ち出すと現在のオリンピックは反クーベルタン思想だからだ。





 本来スポーツに対する行政行為は、「誰でも・どこでも・いつでも」スポーツに触れることができる環境づくりであるはずだ。テニスでもバドミントンでもいい、身近に「誰でも・どこでも・いつでも」できる施設があるか見てほしい。学校環境も同じ。


 オリンピックはテレビを観る機会が増えるだけで、スポーツ環境はほとんど増大しない。スタースポーツの弊害。その陰にはドーピング問題すらある。オリンピックはどんどんスポーツから遠ざかっていく、どこまで流れて行くのか…それをウォッチするのは面白いかも。





 シンボルの五つの輪のひとつはアフリカ大陸だという。


 アフリカ大陸でオリンピックが開催されたことは一度もない。開催経験国を中心に資金を出し合ってアフリカの数か国でオリンピックが開催されるなら賛成する。それにはアフリカでの平和が必要で、まず平和を求めるプレオリンピック活動が絶対的に必要だ。





 戦争・紛争・軍事行為行使国が参加するオリンピックは、まさしくオリンピックの真理を説明している。