書籍紹介『逆転無罪の事実認定』原田國男著(勁草書房 2012年7月発行)
冤罪を訴える人や、再審請求をする人たちに希望の人がいた。原田國男裁判官(調査官)である。彼は10年2月に退官し2012年にこの本を書いた。はしがきによると、最後の約8年の東京高裁時代に20件を超える逆転無罪を言い渡している。いずれも上告もなく無罪部分は確定している。これが「希望」の源泉である。
そして、警察・検察や第一審に問題があると指摘し、「問題の深さにたじろぐ」「人が人を裁く本質的な難しさ」と書く。さらに、担当した検察官や第一審裁判官の判断を声高に批判はしない、としその理由として「自分も無実の者を有罪にしている可能性があるからだ」と言う。少なくともこういった発言をする(元)裁判官を私は知らない。そして「刑事裁判にはどんなに頑張っても誤りがある。ここに本質的なおそろしさがある」と続ける。
刑事裁判へのメッセージという章で「事実認定はオールオアナッシングで、その誤りは無実の者を刑務所に入れ、死刑にしてしまい正義に反する致命的な結果を招く」と警告し、刑事裁判は「慣れたら」だめと指摘し、慣れからくる判断の甘さを避けるには「公平な刑事手続きの実施にある」とし、具体例として被告人との人間関係について述べている。筆者には被告人を人とも思わない、被告人の言う事は頭から信用しない裁判官ばかりを見てきたため、たいへん新鮮であった。
例えば「人定質問」は最初に相互の人間関係ができる重要な瞬間で、ここで「ボタンの掛け違い」が生じると冤罪を生むことにもなりかねない、と言う。それは冤罪を防ぐために、被告人が本当にいいたいことをいう雰囲気をつくる必要がある。権利告知は「犯人でない場合は必ずこの機会にいいなさい」と言い「このくらい言わないと犯人でないのに事実を認める危険性がある」「事実を否認する場合の方がましで、被告人が事実を認めてしまうと、冤罪を見抜くのは困難」と言う。「第一審よりもいっそう「被告人のいうことは本当かもしれない」という観点から再審理すべき」と全く自白偏重していない。
冤罪を防ぐのは「勘」ではなく「知恵の集積」。冤罪を見抜く才能を磨くのは法律学ではなく幅広い人生経験であり広い教養と言う。また、刑事弁護人を育てるという項目で、控訴審が弁護人からの事実取調請求をつぎつぎに却下し、実質審理をしないことが恒常化すると弁護人があきらめてしまい、弁護士の刑事離れに拍車をかけるので、裁判所は弁護人が意欲が湧くような審理をすべきと提案する。
この本には逆転無罪判決を下した事件が判決文と共に紹介されている。判決文によって事実認定の過程が実感できる。その中で問題点が浮かび上がる。例えば『覚せい剤自己使用事件』では被告人証言から員面調書の存在がわかり弁護人要求で初めて開示されたケースで「検察官が被告人有利の証拠を隠していた」と指摘する。
『巨乳被告人事件』ではドアの「くぐり抜け」が問題となるが、原審で実験をしなかったことを「非公開で容易にできるのに」と批判する。『痴漢無罪事件』では控訴審で職権で被害者を証人として取り調べる。また、警察官らの「実験」で、被害者が「被告人が犯人に間違いない」という確信へと誤導してしまった可能性があった、と批判している。また、心理学者の専門的な知見が必要と心理学的アプローチの可能性も示している。また痴漢事件では客観的証拠の収集をすべきであり、被疑者が否認したからと言って(普通の会社員が多く)逮捕勾留するのも避けるべきと主張し、慎重な上にも慎重を期した捜査を経た上での起訴が必要と苦言を呈する。そして、「被害者の言うとおりであったとしても、なお有罪とするには足りないことが判明した」と判断する。
『窃盗犯人誤認事件』では検察官が不利益な供述を予期し、検察側証人の証言を撤回したことを批判する。故に原審は被告人が似ていたため誤認された人物の存在自体を全く知らなかった。後に国賠で提起され証人隠しについて国側は「証人尋問といった特信性の立証は審理が長引く可能性があったから」と主張し国賠判決も「違法な公権力の行使にはあたらない」とした。その妥当性は多大な疑問を抱かせると非難する。
『防犯ビデオ決め手事件』では、警察官と防犯ビデオの食い違いから「4人の警察官が目の前で起こった事を事実と異なる証言をした」「その真相はわからない」と警察官証言に疑問を呈する。検察は先にビデオを提出し後に証言を行い照合を図るべきと順序について言及する。
『被害者調書なし事件』は、被害者調書がなく被告人の検面調書で「決して正当防衛などといった弁解をするつもりはない」という奇妙な供述のある事件。検察官は正当防衛を主張すればそれを排斥できないのでへんな調書になったのであり、起訴に問題があったと批判する。
『筆跡鑑定事件』は、被告は犯行を認めていたのに原判決前に筆跡と指紋は別人との鑑定がでていた。「疑問は無罪となる決定証拠の鑑定結果が原審段階で明らかになったのに、検察官はなぜこれを隠したか」であり、後できくところによると「このような証拠を出すと裁判官がお迷いになるから」だという。被告人の言い分にそのまま乗る起訴はあぶない、そしてあきれると糾弾している。
『足跡痕事件』では、安易な鑑定人を批判し、『タイムカード事件』では刑事補償のハードルを下げる判示をしている。
明解な判決文も含めもっと詳細な解説がしたいが、多くの人に読んでもらいたいと思い感想を述べず紹介にとどめる。また幾多のデタラメな警察・検察・裁判に驚く。逆に著者に対する批判があればそれも知りたいと思う。