劇団ダダンの「演劇祭」が7月2日3日と二日にわたって開催された。「演劇祭」といっても場所は劇場ではなく大学の集会室であるため、祭典という趣向ではなく、さらに構成は小品のオムニバスというかたちだったので、自分たちが楽しむことに主眼が置かれていたように思う。
幕開けは場内注意かと思っていると始まっていたコント『不透明な会話』(ラーメンズの『TEXT』より)で、信号の「赤が止まれ青が進め」が必ずしもそうでないことをマクラとし、透明人間の存在を論駆する設定。一見緻密そうな論理の陥穽が楽しい。ラーメンズの本がいいのは当然だが、息のあったコントは観客をリラックスさせた。
次は中野劇団中野守の『ピロシキ』。腎臓がピロシキになっていると診断された患者と医師のやりとりがメイン。どちらも正当性を主張しあい、それが齟齬となる面白さ。女性二人のキャラクターの対比が客の笑いを誘っていた。
三本目のコントもラーメンズの『STUDY』。万引きした男が、捕まえたアルバイト店員を人生論等で丸め込めようとする構成。落語の「付き馬」を連想させる。本もいいし、男性二人のキャラも立っていて笑い満載の舞台となった。ここまでくるとコントというより演劇かもしれない。
次はコントの笑いの余韻の中で始まる心理劇。テネシー・ウィリアムズの『しらみとり夫人』。フレンチクォーターの大家と間借り人の夫人と夫人を庇うアルコール依存症の自称作家の男性が登場する会話劇。堕ちることの悲哀と、虚偽にすがる心情など人の「すさみ」を表現した舞台。観客として思わぬ収穫だった。もっと練ればもっといい舞台になると思う。
上記四本は二日目も公演されたが、ペローの『青髭』は二日目のみの公演だった。観客に飲み物を勧め、それから祝杯のシーンへと移っていく試みは観客のつかみとして成功していて、さらにダンスと無言劇で構成された引き込まれる舞台だった。死んでいた妻を生死も性別も分からない者(霊?)として表現したところが「童話性」を薄めていた。衣装などもたいへん凝っていて演劇の一面を見せた。
演劇祭故のオムニバス構成。軽いもの(コント)から重いもの(心理劇)、最後はダンスの入ったサスペンス、と素人ウケを計算した構成は成功していたように思える。