今年もイタリア映画祭が終了した。
積極的に関わらなくなって2年経つが、やはり心配なものである。
今年はイタリア統一150周年のため重厚な作品に出会えた。
イタリアにはイタリア語とイタリア料理はなく、標準語と郷土料理があるだけだ、と言われるほど難しい国である。
もともとイタリアという国はあったのだろうか?
中世に存在したイタリア王国は、ロンゴバルド王国がフランク支配下で用いた便宜上の名称であり、イタリア共和国と別のイタリア王国はナポレオン支配下に作られ北部に限られていた、とものの本にある。
つまり中小の国があった「地域」で、外国支配が多くあった「地域」である。つまりリソルジメントにより初めてイタリアという国が生まれた。
サボイアのビットリオ・エマヌエーレ二世のもとに「統一立憲王国」として国土統合を遂げた1861年にその起源を求め、150周年となるわけである。
ところがこの歴史に詳しい人は全く周りに居ない。
フランス革命やドイツ農民戦争、ブリタニア革命などが詳しい人はいくらでもいるのに(失礼!)である…
今回の映画祭に出品された Noi credevamo(MarioMartone2010、『われわれは信じていた』)はまさにイタリア統一をテーマにした壮大で重厚な歴史劇である。
ただ、先にも言った通り、この時代の歴史に詳しい日本人が少ないし、映画は3時間近い大作で、登場人物も大変多く、なかなかハードルの高い映画である。
また、イタリア語ファンにとっても、方言(私は地域語という言い方をするが一般的言い方にした)が多いし、フランス語、英語も多いので(イタリア映画には珍しく吹き替え無し)不満があったかもしれない。
そのせいかカタログに藤澤房俊氏の「『われわれは信じていた』を読む」という9ページにわたる解説があって、たいへんコンパクトにしかも良く書けているものが載っている。外のブースではイタリア書房が出したシナリオ(ただし伊文)も売っていたが売り切れだった。
なにか色々な人が、この難解だが映画史の残りそうな作品を応援しているようだった。
無論多くの実在の人物が出てくるが、ストーリーを進める若者たちは架空の人物で、架空というより多くの若者の代弁者で、その一人をルイジ・ロ・カーショが演じている。さらに言うと怪優トニ・セルビッロがマッツィーニを演じていて秀逸。
映画のアンジェロとドメニコ兄弟は、バンディエーラ兄弟を彷彿とさせる。
ナポレオン三世暗殺未遂など出てくるシーンも貴重。
結局革命は資金とスパイと裏切りて転向に集約されるというジレンマが辛くなる。是非多くの人に観て欲しい作品であるが、一般公開はされないだろうな…
客席に岡本太郎さんがいたので、終映後声をかけようと思ったのだが、明るくなったらいなかった。
死刑になる若者がこう言う
「なぜ教皇は世俗の権力に固執するのか?」
ラストのモノローグ
「われわれとは、なんと耽美な言葉か…」
これは「われわれ」と呼んでいたマッツィーニ主義者が君主制へと転向していった事実を示す。
終映後、他の人の感想が聞きたくてエスプレッソをサービスしているロビーに行き、聞き耳をたてたのだが、肯定的な感想は全く聞けなかった。残念。
「みんな顔が同じで、誰が誰だかわかんなーい」
「言葉が全然イタリア語じゃないし」
「いつの時代の話?」
ううむ、残念。