先住民族、特に環オホーツクを中心とした北方先住民族の「祈り」の多くは、自然に対する自らの無力な存在を慰撫するものであり、それは自然への畏怖に直結する。だから自然を神格化し、動物を神の使いとする。
アイヌ民族の場合、自然への畏怖から土地を耕すということを忌み嫌う。土地からの僅かばかりの「おすそ分け」を願うだけである。
ある私企業が環境に大きな影響を与える汚染水を海に投棄した。
彼らは地球を自分のものだと思っているのだろうか?
自らの無力さを知悉すること、そしてその無力さからくる恐怖を減ずるために祈ること…その時「祈り」はある力を持つ。結局自らを守るという力である。
内橋克人氏が『始まっている未来』(岩波書店)の中でこう言っている。
「(新自由主義、パックスアメリカーナの話題の後に)これまでの経済学とは、まさに血みどろの宇宙だった。それを学問という衣でくるんで祭壇に祀った。敬虔な信者たちが跪き、神秘の香を焚いてお経をあげる、科学とは無縁の光景が浮かんでくる」
この「祈り」はなんだろう…少なくとも自らの無力さを知った「祈り」ではない。