久しぶりに心太作った。
半分食べてから画像撮影
これも使用後に撮影。「流し舟」と呼ぶ。
これは「天つき」と呼ぶ。海藻(天草)を煮込んだものを、ながし舟に入れて固まらせて、天つきに入る幅に切り分け、画像の道具で突き出すだけであって、用具さえあれば制作は至極簡単。海藻粉末、天つき、ながし舟すべて伊那食品の製品である。
水は水道水でもいいのであろうが、ミネラル・ウォーターを利用。
コロナの蔓延時期には使わなかったが、最近、コーヒーゼリーや杏仁豆腐作りを再開。心太も作る気になった。
ところでトコロテンを「心太」と表記するのはなぜか。
①転化説
「心太」が時間とともに「ところてん」と呼ばれるようになったというものだ。もともと「心太」は「こころぶと/こころてい」と呼ばれていたが、それが時間とともに「こころてん」になり、さらに「ところてん」になったと考えられている。ちなみに心太と呼ばれた理由は、原材料であるテングサの俗称が「心太(こころぶと)」であったからとされている。
という説と、
②当て字説
これは関西地方の方言に「とごる(凝固する)」という言葉があり、それと原材料である「テングサ(天草)」を合わせたというものだ。また、漢字が「心」と「太」である理由は、「凝」と「心」にはそれぞれ固まるという意味があり、「天」と「太」にはそれぞれ大きいという意味があり、同音異字として漢字が当てられたとされている。
投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部
監修者:管理栄養士 中山沙折(なかやまさおり) さんのHPからの引用。
- 鬱勃と雲の影ゆく心太 中原道夫
- 心太てふ文字こころひかれけり 行方克己 知音
- 心太ひとり食うぶるものならず 山田みづえ
- 心太大阪暮らしややに慣れ 西村和子
- 辛子黄に梅雨上りけり心太 永井東門居
- いつも寄る仏の里の心太 香下 六子
- 心太みじかき箸を使ひけり 古舘曹人
- 旅人や山に腰かけて心太 小林一茶
- 高波の夜目にも見ゆる心太 川崎展宏
- 父と子の夢食ひ違ふ心太 高橋悦男
- 街騒を扉で断つ店や心太 稲野由紀江
- 話題なき夫婦の卓の心太 田中照子
- 心太文字の由来を聞かれけり 横原律子
- 浅草の辛子の味や心太 久保田万太郎
- 簀の外の路照り白らむ心太 富田木歩
- それぞれの私が語る心太 秋尾 敏
- 心太不意に昔のありにけり 椎名書子
- 相似たる店構へなり心太 杉山加代
- 心太あつけらかんと生き抜かん 指澤紀子
- 松にかけし笠とんでなし心太 吉田冬葉
- 相模より風吹きわたる心太 大橋富士子
- 次の間へ白き手がのび心太 柿本多映
- 心太いま渉りきし川のこと 岸本水馬
- 籠居や芥子きかせて心太 水原春郎
- 溝川の澄み切つて冷ゆ心太 下村ひろし
- 再会のはらから老いぬ心太 平田 千鶴
- 心太へだてなき膝突き合せ 矢嶋あきら
- 心太さらりと言葉躱はされし 岡部名保子
- 出格子の暗さ程よき心太 白澤よし子
- 石縋の湧水さはに心太 山本牧秋
- 心太燦々と灯を掬ひをり 村上光子
- 心太まづしき過去を子は知らず 佐藤浩子
- 心太とかくつまづく齢となりぬ 梅村好文
- 浅草の辛子の味や心太 久保田万太郎
- 心太煙のごとく沈みをり 日野草城
- 心太売れゐて新しき季節 後藤立夫
- 心太喉通るため透きとほる 後藤立夫
- 心太峠の茶屋の隠し味 小島左京
- 心太水の如くに突き出され 粟津松彩子
- 山頂は見えざるままよ心太 如月真菜
- 心太わが幾山河も映りいて 吉本和子
- 甘酒や一樹の蔭の心太 松根東洋城
- 旅心太藺の花にすがすがし 高野素十
- むらぎもの影こそ見えね心太 安東次男
- 心太ゆすつて見るや皿の上 栗島狭衣
- 心太に月上りたる戸口かな 河東碧梧桐
- 日本に生きるほかなし心太 山本左門
- 心太天地が踊ることを云ふ 吉野裕之
- おいそれと孫子が殖えて心太 宮城梵史朗
- 観て歩くだけの古美術心太 宮野一磴
- 湾二つ一望にして心太 毛塚静枝
- 病室四人話のもとの心太 影島智子
- あさら井や小魚と遊ぶ心太 小林一茶 (1763-1827)
- 高波の夜目にも見ゆる心太 川崎展宏(1927-)
- 栴檀の花散るや桶の心太 寺田寅彦
- 涼しさの心太とや凝りけらし 寺田寅彦
- 心太水晶簾と賛すべく 寺田寅彦
- 心太とラムネの瓶と浸しけり 寺田寅彦
- 柳心太にしたゝるは面白し西行が歌意 尾崎紅葉
懐かしむ新婚時代心太
妻が両替してきた新札。そのすべてを孫の誕生日祝いに贈ったわけでもなさそう。
根茎ベゴニア これも種類が豊富