野田の藤。より正しくは、野田の野田藤。
阪神電車野田駅前ののだふじの棚
まだ満開ではない。画像は比較的よく咲いている部分を切り取って写している。
ソメイヨシノ同様、1週間以上例年より遅れている気配。
かなりの観光客が訪れているが、白人系の人は少ない。欧米系に見える人も近在に居住している人であろう。
これまでこのシーズンに何度も訪問しているが、今回は下福島公園を目指す。
公園の真ん中に高い網で囲われた球技場があり、それを囲むように藤棚が張り巡らされている。ベンチや木陰でお弁当を開く人が多い。
見える石碑には、ここを「ライオンズの森」と名付けるライオンズクラブの記念碑
野田を野田藤の聖地にしようとする活動は比較的新しいようだ。
野田藤を検索すると、大阪の野田で見られる以上の豪華な野田藤の名所が各地にある。
これは福島区作成の案内。
明日が見ごろの最後の日になっているが、予想は狂ったようである。
「野田藤」の命名者は牧野富太郎。
藤邸の庭をここへ移したのは福島区のライオンズクラブの功績である。
白藤も
まだこれから盛りへ向かうのであろう。
公園の裏口辺りから入って、正門を抜けた向かい側の歩道沿いおよび歩道の上
立派な藤棚が設置されているが花はこれから。
堂島大橋に出て北側川沿いを歩いた。
「大橋」で検索。
初鴉佃大橋砥のごとく 永井東門居
大橋の潮の早さや火事遠し 大場白水郎
秋晴や宇治の大橋横たはり 富安風生
御降りの四条大橋渡りけり 羽成 翔
初髪を抑へ大橋渡り来る 堤 京子
857句が検出も、ほとんどが「大橋」姓の作家の作品。
最初の300句からは5句のみ 宇治大橋や四条大橋を詠った句が出てきた。
対岸に水上バスの停留場とロイヤルホテルが見える。
福島天満宮を経て、なにわ筋を通って阪神電車福島駅から帰路へ。