富松川の土だまり。

いつも観察している空地の傍。

空地というほどの広さもない。東流に向きを変えた川は、ここでまた直角に曲がり、南流、阪急電車神戸線の路床に下をくぐっていき、また直角に西流し、庄下川に合流する。

 

萵苣(チシャ)とレタスは同義語である。レタスの和名がチシャである。

野菜としてのチシャの栽培・食用は平安時代には始まっている。ヨーロッパ原産のチシャはBC6世紀ころから食用に栽培され、日本へは平安初期に中国経由で入ってきた。

しかし現代日本ではチシャとレタスは区別している。

明治期以降に日本へ入ってきて、1970年代以降、サラダ菜と利用される玉レタス

に対して、日本で利用されていたものをチシャと呼んでいる。

月光の蒼く滴るレタス畑 久松久子
 
レタス前線信濃ちらほら甲斐が旬 野宮猛夫
 
郭公や温室より移すレタス苗 久田 澄子
 
布白くレタスのみどり玻璃に透く 小柳佐武郎
 
レタス噛む寝起き一枚のシャツ纏ひ 堀風祭子
 
巻き固きレタスほぐして夕長し 岡本眸
 
レタス喰む全身青虫となって東北 岸本マチ子
 
巻き固きレタスほぐして夕長し 岡本眸
 
レタス畑水色昼寝の農婦らに 羽部洞然
 
レタス沢山洗い遅日の手がきれい 池田澄子
 
自愛は呪語か レタスの翼はりはり噛み 伊丹三樹彦 樹冠
 
 
萵苣の芽が押し会ふ我利の徒に遠く 香西照雄
 
おりおり萵苣にふれ朝日に跪坐 若森京子
 
菜園の土の疲れや萵苣の花 大野雑草子
 
萵苣の葉につのる雨山隠し 宇佐美魚目
 
はりつける岩萵苣採の命綱 杉田久女
 
指先にまつはる雨の萵苣を欠く 金本昌永
 
萵苣の葉につのる雨山隠し 宇佐美魚目
 
萵苣掻いて寒村いまも川深し 橋本鶏二
 
萵苣噛んで胸中のもの大切に 小林ほづを
 
朝曇晴れかゝりては萵苣をかく 早船白洗
 
花烏賊を買ふたびかきて萵苣の丈 清原枴童
 
蜑が家の出入りにまたぐ萵苣の畝 赤城小次郎
 
生魚すぐ飽き萵苣を所望かな 川端茅舎
 
萵苣の芽が押し合ふ我利の徒に遠く 香西照雄
 
萵苣青し母なきあとは叔母たより 平松竃馬
 
食べ食べて余りし萵苣は咲かせけり 林原耒井
 
低空を煙ながれて萵苣はがす 中田剛 珠樹
 
はりつける岩萵苣採の命綱 杉田久女
 
古里や嫂老いて萵苣の薹 高浜虚子

よって現在の日本では、レタスとチシャは別物である(と思っている)。

青い花と白い花が写っているが、青い花がカワジシャ。白花はクレソンである。

在来種のカワヂシャは、花は小さく、白い。よって↑の画像のカワヂシャは、帰化種の

オオカワヂシャである。

数年前なら、オオカワヂシャは庄下川上流では見かけなかった。尾浜以南ではよく見かけたが。

  しかしここ5年ほどは、阪急電車神戸線の北側の地区の濁った排水路などでも

見かけるようになった。

昨日紹介した細道を塞ぐかに見える金網。これは廃排水路への進入を防ぐものである。

廃排水路というよりは廃用水路と呼ぶべきかも。

周辺がすべて宅地化されたので、用がなくなったのであろう。

金網の間から廃水路を覗くと、オオカワヂシャの花が咲いているのが見える。

カワヂシャ以外に、ノヂシャ、トゲヂシャも野草化している。

ノヂシャ:ヨーロッパ原産で、日本と北アメリカでは帰化植物。日本では1886年(明治19年)に東京で初めて報告された[4]。北アメリカでは北はカナダ南部から南はアメリカ合衆国テネシー州ノースカロライナ州までで、かつミシシッピ川より東に分布する。

カワヂシャ、ノヂシャとも食用可能。

トゲヂシャは1949年に小樽で帰化が確認されたものだが、家の近辺でもありふれた野草になっている。まだ今年は姿を未確認。

 

昨日の近隣公園

枝先はまだ葉が出ていない。むしろ今シーズンで一番の青空に映える桜の画像となっている。

満開時から1週間。途中寒い日が2日ほどあったこともあり、また今日が土曜日であったこともあり、数えると50人ほどの人が集まっていた。

花の下を外れて木陰に折り畳み椅子を配置するグループも。

まだ葉桜にはなっていない。花を楽しむこともできる。

夕食後にも出かけてみた。人の姿はなかった。

ここの桜のいい点は、幹のひくいところで枝分かれしていること。

土質が適さないためかもしれないが、花が咲いている枝を目の前にすることが出来る。

門前のプランターの配置を変えた。↑のネモフィラを家の北側市道に面した場所へ置き換え。

塀の上にも1プランター配置↑↓

この花が地面を這う状態だったので、配置転換を思いついた。