我が庭のいたるところがその季節にはドクダミだらけになる。ドクダミとミョウガが夏の時期の
我が庭の主人公といえる。
ドクダミ(蕺{草})は日本を含む東アジアに自生。
ドクという言葉があるが全草無毒である。
別名にドクダミソウ、ドクダメ、ギョセイソウ、ジゴクソバ、ウマゼリ、十薬など。
- 十薬の五薬を信じ軒に干す 目崎てる子
- さびしらの花十薬に花ことば 中原道夫
- 十薬の花にも置きしベンチかな 行方克己 知音
- 植ゑ込みしごとく十薬一ト盛り 行方克己 知音
- 十薬の一弁欠きし日数かな 行方克己 知音
- 十薬の花の盛りといふでもなく 行方克己 知音
- 十薬を打ち打つ雨にうたれけり 行方克己 知音
- 吹かれゆがめり十薬の十文字 行方克己 無言劇
- 十薬や犬の出歩くきつね雨 小原俊一
- 十薬の花の厚みの曇り空 牧石剛明
- 産小屋の遺れり十薬咲くところ 富田潮児
- 十薬や要らない蚕具を陽に晒し 星野紗一
- 十薬の匂ふ我が家のくらしかな 衲 敬子
- 十薬や母の生地の土やはらか 上田五千石
- 十薬にひと竿で足る濯ぎもの 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
- 十薬に彳ちて己を宥さずをり 野澤節子 『未明音』
- 十薬に外出や三たび降りつのり 『定本石橋秀野句文集』
- さからはず十薬をさへ茂らしむ 富安風生
- 十薬の花ひつぱつて蜘蛛の絲 星野立子
- 十薬の花まず梅雨に入りにけり 久保田万太郎
- 十薬の白き十字を以て誓ふ 福田蓼汀
- 十薬の匂ふジーンズ干されけり 阿部寿雄
- 十薬の匂ひに慣れて島の道 稲畑汀子
- さからはず十薬をさへ茂らしむ 富安風生
- 十薬の臭ひに噎せる一会かな 中村苑子
- 十薬の匂ひの高き草を刈る 高浜虚子
ホトケノザ、カタバミ、ハコベラは幼芽のうちに、摘み取っているが、いよいよドクダミもその対象に
なっている。とはいえ今年もドクダミ茶は作るつもり。
日本では雑草として身近な存在であるが、古くから生薬、民間薬として利用され、ゲンノショウコ、センブリとともに日本の三大民間薬の1つとされる[9][41][61]。どくだみ茶やハーブ、野菜として利用されることもあり、このような需要のため商業的に栽培されている[62]。また観賞用として栽培されることもあり、欧米でも東洋のハーブとして人気がある[41][44]。健康植物としての評価が高く、篠原 (2008) は「日陰のやや湿ったところに群生し、独特の臭気を持つが、これほど有能で捨てがたい植物も珍しい」と評している。
刈るべきか十薬一斉に芽吹き出す
ベトナム料理では、ドクダミは香草(ハーブ)としてバインセオやカオラウなどさまざまな料理に添えて生食され、またサラダとしても食される[79][90][91](上図6b)。中国西南部(貴州省、四川省、湖南省など)ではドクダミは食材として広く利用されている。特にその地下茎は「折耳根(ジェアールゲン、拼音: zhé’ěrgēn)」ともよばれ、炒め物や和え物として食べられている[92][93](上図6c, d)。
日本でも、古くに「蕺(シブキ)」が食用とされていた記録がある。『和名類聚抄』(935年頃)には、野菜として記されており、また『蜻蛉日記』(974年頃)ではユズをのせたものを食したと記されている[94]。ただし、日本では古くは「蕺」がドクダミではなくギシギシ(タデ科)を意味していたとの説もある[95]。地下茎にはデンプンが蓄積されるため、近現代の日本でも食糧難の時代に地下茎を茹でて食料としていたという[4
ドクダミの苗の周りに生えているのはヒルザキツキミソウ。2年前に15種混合の種袋を
撒いたが、ヒルザキツキミソウはその中の一つ。昨年は2つの鉢でこぼれだねから芽吹いたものを
育てた。そのまたこぼれ種が今春にはいたるところから芽吹いている。
これは昨年養生した鉢。一部は多年草化している。
ニゲラを植えているプランター↑やアマリリスの植えているトロ箱↓などに芽吹いたヒルザキツキミソウ
の幼芽は気付き次第抜いているが、次々に芽生えるので作業が追い付かない。
↑の画像では、抜かないままの仏の座やカタバミ、ハナニラの姿も見える。
ハナニラの花も咲き始めた。
キズイセンとハナニラ
ツバキは盛りの地味を迎えている。
アカバナが一輪咲いているのを見つけた。
近所の草地の中のボリジ
花の色は「マドンナブルー」と呼ばれる。ヨーロッパではハーブとして用いられる。
別名ルリジシャ。
零れ種でもよく育つらしい。
この場所(公共植栽地のはず)でも多数の株が育っている。