春節祭(旧正月)は今年は2週間後。

センター街から元町商店街へ。そこから南京町へ。あまり混みあわない内に出かけてがかなりの人出。センター試験も終わったせいか、若いカップルが目つ。

白人の観光客の姿もチラホラ。(アジア人は見分けがつかない)

店の前の屋台はどこも行列。とりわけ老祥記のものは、広場の中央の中へ入り込んでいてどこが最後尾か分からない。

まだ利用したことがない店を探して、香港料理店へ。飲茶コースを注文。

阪急の西出口を出て地上へ降りると目の前に見える風景

これは造花。

センター街の一筋南の通り。センターサウス通り

これは生花であった。

三宮神社  紅梅が咲いていた。

 

原産地は中国であり、一説には日本への渡来は弥生時代紀元前3世紀 - 紀元3世紀)に朝鮮半島を経て入ったものと考えられている[20]。また他説には、遣唐使が日本に持ち込んだと考えられている[41]奈良時代ごろに中国から日本に渡来した説では、薬木として紹介されたと考えられている[19]。日本では奈良時代から庭木として親しまれて、果実の栽培も江戸時代から行われていた

紅梅紅梅として灯るころ 阿部みどり女 『微風』
 
紅梅も絵空事なり平次の碑 行方克己 知音
 
紅梅や仏の額に縦のひび 伊藤通明
 
鯉水をうつて寂たり紅梅花 三好達治
 
白梅になき仏心を紅梅に 森 澄雄
 
紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子
 
夕ぐれの紅梅を見に戻りゆく 鈴木六林男
 
般若寺の紅梅簷を深うしぬ 山口草堂
 
厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣

紅梅は尼白梅は老文士(北鎌倉) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
紅梅や泣くまえの朱を顔に溜め 田川飛旅子 『植樹祭』
 
紅梅やすさまじき老手鏡に 田川飛旅子 『外套』
 
紅梅の幹に通ふは神の血か 田川飛旅子 『外套』
 
紅梅や空濃くなりし昼の坂 柴田白葉女 『月の笛』
 
紅梅は執をたのみの花ざかり 齋藤玄 『無畔』
 
薄氷より紅梅までの髪靡き 齋藤玄 『玄』
 
紅梅にかの日かのことよみがへる 上村占魚 『萩山』
 
紅梅の*しもとを箸や宮大工 飴山實 『次の花』
 
紅梅やをちこちに波たかぶれる 飴山實 『辛酉小雪』
 
紅梅の小窓にたてば見ゆるといふ 阿部みどり女 『石蕗』
 
紅梅や晴曇交々暇な身に 阿部みどり女 『石蕗』
 
釜のふた紅梅は枝張りにけり 大木あまり 火球
 
紅梅や土の埃の立つところ 大木あまり 火球
 
薪割りの終りは激す紅梅に 大木あまり 火のいろに
 
紅梅や病臥に果つる二十代 古賀まり子
 
紅梅に牛つながれて泪ぐむ 森 澄雄
 
紅梅の夢白梅のこころざし 大串 章
 
紅梅や枝々は空奪ひあひ 鷹羽狩行
 
紅梅と故人のごとく対しけり 富安風生
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子
 
ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり 飯田蛇笏
 
紅梅にはつきりと雨あがりたる 星野立子
 
紅梅や古き都の土の色 蕪 村
 
紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 芭 蕉
 
紅梅のたそがれ星座ととのはず 渡辺水巴
 
梅の中に紅梅咲くや上根岸 正岡子規
 
芯高く紅梅の花ひとつひらく 橋本多佳子
 
伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋桜子

 

梅をみるために、10年以上伊丹市緑が丘の梅園へ通ったが、ウイルスに侵され全面的に伐採処分された。京都の北山植物園や大阪城公園へもよく通った。

紅梅はよく匂う。

白梅の方はまだチラホラ

フラワーロードあたりからの眺め。

今日・明日は将棋王将戦第3局。一日目で早くも藤井聡太優位の様子。