サラリーマン川柳という用語は変更すると言っていたはずだが、今年も

サラリーパーソンなどとはなっていなかった。

ベストテン中、4位、5位、6位、8位の句の真意が分からない。

 

4位のものは、どの語で検索すべきか分からないので、後廻し。

 

5位のもの。JYPで検索

パク・ジニョン

1971年12月13日、ソウルに生まれる[8]

1977年、父親の転勤で小学1年生の時に渡米し、2年余りニューヨークに居住した[9]。そこでブラックミュージックに触れ、音楽にのめり込んだ[10]

高校生の頃には、KUWATA BANDの「スキップ・ビート」を聴き、アジア人でも黒人音楽ができるということに衝撃を受けた。そして、延世大学校在学中に、歌手になることを決意した。

1992年、グループ「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビューするも振るわず、再デビューのために受けたオーディションにも次々落選。その後、歌手キム・ゴンモのマネージャーに拾われてバックダンサーを務めていたところ、作曲家のキム・ヒョンソクと知り合い意気投合。ヒョンソクの家に転がり込んで音楽理論を学んだ。

1994年、ソロのR&B歌手として復帰。当時としては珍しかったメディア戦略やセクシーな衣装とダンスで注目を集め、一躍人気者となった[11]

1997年、所属事務所であったデヨンAV(現・ポイボス)から独立し、「テホン企画(現・JYPエンターテインメント)」を設立[12]。プロデュース活動も開始し[13]、R&Bやヒップホップ調の音楽に家族愛など庶民的な内容の歌詞を載せた楽曲を特色とする男性アイドルグループgod」は幅広い年齢層から支持される国民的グループにのし上がった[14]。その後も男性歌手のピ(Rain)女性アイドルグループWonder Girlsらをスターへ育て上げ、テホン企画を韓国3大芸能事務所[注釈 5]の一つにまで成長させた。

2001年4月、自身のイニシャルを取って、テホン企画を「JYPエンターテインメント」へ社名変更。

2001年8月、KOSDAQへ上場させた。

2003年、米国進出し、ロサンゼルスを拠点にプロデュース活動を行った[15][16]

2004年、メイスの復帰作への楽曲提供を皮切りに、Cassieウィル・スミスのプロデュースを手掛けた。日本でも精力的に活動し、AISMAPとコラボレーションを行った。

2007年、6年ぶりに歌手活動を再開。

2008年、大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命された[注釈 6][17]

2020年10月7日、日本でベスト・アルバム『J.Y. Park BEST』を発売した

 

以上の事実まったく知らなかった。人名さえ。

 

5爺 は5Gを掛けたもの。

 

8位の句。

YOASOBIという文字は見たか、聞いたことはある。グループ名であろう。

大晦日の紅白にでていたかどうかは知らない。

 

4位の句。

「全集中」で検索したら、

漫画・アニメ『鬼滅の刃』に登場する、鬼殺隊士達が必須技能として習得する特殊な呼吸法

超越生物である人喰い鬼と渡り合える程に身体能力が強化され、そこから各“型”に沿った剣術を繰り出すことによって、岩塊よりも硬い鬼の頸をも斬り落とす事が可能となる。

 

あくまでも人間が身に付ける“技術”である為に、骨身を削りながら修練を重ねる以外に習得方法は無い。

鬼が使う、人喰いなどの要因によって突如目覚める“異能”、血鬼術とは対極に位置すると言える。

 

ただし、それを本当に習得できるか、あるいは習得した後にどこまで昇華できるかは、個々人の才能と努力次第であり、人によって使える呼吸のレベルは異なる。鬼殺隊士であっても必ずしも呼吸を完全に使いこなせる訳ではなく、知識はあっても技術としてそれを体得・昇華できない者も少なくない。剣の技量や呼吸のレベルが低い剣士は日輪刀の色も肉眼で分からない程に薄くなる。

主人公・竈門炭治郎の場合は、呼吸や型を修めるのに2年(実質1年半)かかっている。最初の1年で呼吸や型を知識として覚え、それから半年は師匠が指導を終わりにした事もあって殆ど進歩がなかったが、最後の半年間にイレギュラーなサポーター達に指導して貰ったおかげで無事に体得できた。・・・・・

 

などと。

 

ベゴニア:

熱帯亜熱帯地方の原種を交配し、多くの種や品種がつくられたため、それらの性質は多様である。共通する特徴は、葉の形が左右非対称でややゆがんだ形であること、花は雌雄別であり大抵の種は雄花は4枚、雌花は5枚の花びらをもつことなどである。鑑賞のために栽培されるベゴニアの多くは多年草の草花であるが、球根性のもの、木立性のものもある。また、花を鑑賞するためのものが多いが、観葉植物とするものもある。

ベゴニアの名はフランス人ミシェル・ベゴン(Michel Begon, 1638-1710) の名に由来する。ベゴンはフランス領アンティル諸島の総督(在職1682-1685)であり、プリュミエを当地における植物採集者としてフランス王ルイ14世に推薦した人物だった[1]

フランスの植物学者シャルル・プリュミエ(Charles Plumier) が1700年に出版された書物の中で6種をベゴニア属として紹介した。

 

我が家南向きの窓側 10鉢の(木立)ベゴニア

2鉢。ベランダ=洗濯物の干場への唯一の出入り口。↑↓

4鉢

もう4鉢

背の低いものは、鉢の移動中に欠けたもの。冬になって差し芽したもの。すべて同一の種類の差し芽の結果。

1本差しでもたちまち脇芽が出てくる。

これが親株。これじたい差し芽株だが。1.5㍍以上になったので剪定して

子株が一杯出来てしまった。

留守がちの日和ベゴニア花増やす 守谷順子
 
ベゴニアの出荷の車ゆっくりと 村井信子
 
ベゴニアの寄植え母と子の花壇 小川ユキ子
 
ベゴニアや恋の舗道のプランター 阪尻勢津子
 
ホームヘルパー先づベゴニアに水遣って 村本畔秀

ベランダに置いているロウバイ↑ 大島桜↓ どちらも夏場の熱波で枯れてしまったよう。

玄関口の花

妻が子供たちから誕生日祝いにもらったもの。まもなく1ヵ月経過。

ご近所さんから貰った水仙

ナンテン

今日の更地

歩道の境界石を皆外していた。このお家の周囲だけ歩道が少し狭くなっていた。

歩道を整備した時に既得権を尊重したためか。

ちょうど保育園のお散歩への途上が写り込んだ。

2台の園児運搬車に10人以上乗っている。

 

ガレージ用に歩道の端が低くなっていたが、それをさらに段差のないものに削りとっていた。

大型機械の出入り用かも

三隅を掘って又埋めている。

作業中の撮影は遠慮。夜になって撮影。