ベロニカグレース ヘーベ

とアフリンカキンセンカ(ディモルフォセカ)

鉢に名札が挿されていると(断りなく)引き抜いて画像として記録させていただいている。

もちろん撮影後は丁寧に元へ戻しているが、お許しを。

ネット通販価格↓で660円

 

 

このお家では「イオノプシジウム」の名を教えて頂いた。

もう盛りを越えている。

しかし多くの門前が賑やかになっている季節である。

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鉢も綺麗。手間がかかる作業だ。

こんなの家がずらり軒を接していればそれだけで観光資源になるが・・。

夫婦共稼ぎではゼったい無理

我が家のヤグルマギクはピンク一色

用水路(排水路)の中でも

クレソン(オランダガラシ)

オオカワジシャ

セイヨウカラシナ

まつばうんらん

これは美作にも進出していた。ツタバウンランは見なかった。

 

2年ぶりの美作訪問記。備忘録として  

 

訪問先3月31日 母方祖母の従兄の子(7親等)が住職である寺 西粟倉 岩倉寺 

     4月1日  父の実家    母の実家 どちらも当主は私の従兄の子  5親等

         母の実家では、岩倉寺の住職 および 祖母の実家を継ぐ当主とも出会った。

     4月2日  母方の従兄宅 (母の姉の子の配偶者  姻族4親等)

直系4親等までが親戚とするなら、もう田舎には親戚はいないことになる。

岩倉寺の本堂

鐘楼 これも修復が必要  寺塀も

庫裏

 

ウィキペディア:

「寺」という漢字は、本来、中国代においては、外国の使節を接待するための役所(現代でいう外務省)であった。

後漢明帝の時にインドから訪れた2人の僧侶を鴻臚寺(こうろじ)という役所に泊まらせ、その後、この僧侶達のために白馬寺を建てさせ、住まわせたことが、中国仏教寺院の始まりである。

 

寺院の建造物は、礼拝(らいはい)の対象を祀る「堂塔」と、僧衆が居住する「僧坊」とに区分される。

 

「堂塔」は、釈迦もしくは仏陀の墓を指すものであって、祖形は土饅頭型であったが、暑さを避けるために傘を差し掛けたものが定着して、中国などで堂塔となった。日本にも中国様式が入ってきて、三重塔・五重塔・七重塔などが立てられ、土饅頭の痕跡を残した多宝塔などが出現する。日本庭園に十一重や十三重の石塔などの多層塔を建てているが、これも同意のものである。

「僧坊」は、インドではヴィハーラと名づけられて、僧侶が宿泊する場所であり、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、jetavana-vihāra)のように釈迦在世の時代から寄進された土地を指したが、次第に僧坊が建設されたり、石窟に住んだりした。中国に入ると僧坊が建設されることが多くなり、堂塔が併設されたので、寺院というと、堂塔と僧坊が同所にあることが普通となる。

 

調べると知らないことばかりである。