先日の日曜日、宮城県の「侘び助」のセリ鍋を、いつもお世話になっているフェイスのママさんよりいただく。


以前、サンドウィッチマンの富澤さんからいただき自宅で食べたプログをアップした際、それを見て「侘び助」に食べにいったそうである。


恐縮しているが、せっかくの好意なので、さっそくいただく。




やはり、「セリ」そのものが他のセリとは違うのだ。


名取市の余田で採れたセリは、歯応えも美味しさも格別であり、群を抜いている。


今回、他県のセリを購入して、食べ比べをしたが、「キドさ」がまったく違ったのだ。




出汁がとても美味しいので、具材も少し足して、楽しみながらいただいたのである。




また、ヤマザワあさひ町店より、エンガワ、つぶ貝、タコの刺身を購入し、居酒屋風の夕食となったのである。


鍋の締めは、うどんも付いているのだが、自分は餅を入れて雑煮風として食べる。


3月には入ったが、まだまだ冷え込む夜。


熱々のセリ鍋は、五臓六腑に染み渡り、心も体も暖かくなったのであった。


ご馳走様でした。

心より御礼申し上げます。

3月1日(日)、東海大学山形高校の第47回の卒業式が挙行された。


276名の卒業生の門出を、先生方、PTA、在校生、そして学校関係者が、全員で見守り、心からの祝福を送ったのである。




自分も、東海大学山形高校を運営する学校法人「東海山形学園」の理事長として参列し、祝辞を述べた。




来賓並びに学校関係者は、この日の午前9時に校内のメディアセンターに集合し、校長の挨拶に続き、荻野事務長からの式次第の説明を受けた。


また、生徒たちと担任団のお別れイベントの模様が披露された。




第一体育館は、参列者でびっしり。


PTAや在校生(2年生)が着席し、卒業生の入場を待つ。




吹奏楽部の演奏に合わせて、担任の先生と、卒業生たちが入場する。




在籍している生徒全員の名が呼ばれ、石澤惣栄校長から、卒業生に卒業証書が渡される。




引き続き、石澤校長による卒業式の式辞。


これから世の中に出てからは、「主体性」を持ち、自らが考え行動していかなければならない。

人は一人では生きていけないのだから、多くの方々と繋がりながら、逞しく生きていってほしいとのエールが送られた。




自分の理事長の祝辞は、「多様性」と「レジリエンス」という言葉の説明と、自分らしい自分だけの花を咲かせてほしいとエールを送る。




船橋吾一PTA会長は、一人の父親として、娘へのメッセージを、愛情いっぱいに伝えていただく。


素晴らしい、愛溢れる祝辞となった。




来賓紹介。




2年生の石沢一葉さんによる送辞。




卒業生を代表して、鈴木楓馬くんの答辞。




そして、卒業式のクライマックス。


先生との別れの時。

仲間たちとの別れの時。


万感の思いが溢れ、感謝の言葉を述べる生徒たち。

それを見送る先生方の目には…涙が。




体育館の窓のカーテンが開き、春の光が体育館の中に差し込んでくる。


生徒の皆さん、家族の皆さん、先生方へ、心よりお祝い申し上げます。




PTA会長を務め上げてくださった船橋吾一さん。


常日頃から、様々な場面でお世話になっているが、子どもが成長することに対して、喜びと一抹の寂しさを感じると話されていた。


親とはそういうモノなのだろう。


子どもの完成形を見ずに、先に天国に旅立つ。


だからこそ、お互いが愛おしくかけがえのない存在なのだろう。


そんなことを感じた、素晴らしい卒業式であった☆

今年のバレンタインデー。


高市早苗総理大臣が使用しているボールペンと同じ、三菱鉛筆社製の「ジェットストリーム」を、娘からもらった。


SNSで話題とのこと。




高市総理が使用しているのはライトピンクで、売り切れ続出らしい。


高市人気を物語るエピソードである。


自分がもらったのは、ブラック。




一本で、黒、赤、青、緑の4色のボールペンと、シャープペンの機能を兼ね備えた多機能ペン。


とても便利で、仕事ができる方のこだわりを感じた。


多くのビジネスシーンで活用するペンとして、メーカー側は自信を持って販売しているという。





高市早苗氏の愛称「サナ」と、アイドルやキャラクターを応援する「推し活」の「活」を組み合わせて、「サナ活」という造語ができ、高市氏が内閣総理大臣に就任した昨年の秋頃から、SNSを中心に広がりを見せた社会現象である。


その流れで、早苗グッズも、ムーブメントとなっている。


あまり政治に関心がなかった女子高生や女子大生が、こういうカタチで政治に興味を持つのは、良いことだと思う。


若者の政治関心が強かった時期は、1910年から1920年の大正デモクラシーの時期、1960年から1970年の安保闘争や全共闘時代であった。


いずれも、社会的潮流となった。


あれから50年。

まさに、新たな時代の扉が開かれたのかも知れない。