日本はどんどん家族がばらばらになって、ばらばらに人々が生活するようになっている。

 

今後、これから日本では大量に孤独死する人が出てくるだろうし、

私自身もけっこうな確率で、家の中で一人で死んでしまう可能性があると思っている。

 

でも、昔の日本の文学とか芸術には、たくさんの孤独の伝統が埋もれていて、

だからこそ、これからの私たちは、孤独にこの夜を去っていった先人から学んでいくことができる。

 

むしろ、私たちがばらばらになって、誰にも知られずにこの世を去らざるを得ない状況

に追い込まれていくからこそ、昔の先人と、時を超えて、心の中で深くつながっていくことが

できるようにもなると思っている。

 

孤独死・・という言葉で私が連想する先人と言えば、

永井荷風、

 

永井荷風の『断腸亭日乗』、『墨東奇譚』を読むと、

文章の美しさ、近代化の進んでしまった東京の中の江戸時代の風情への愛着などは

なんとなくわかるけど、いまいち永井荷風がどういう生活をしていたのか、

イメージがわきにくいところがあった。

 

でも、新藤兼人監督の映画『墨東奇譚』を見たら、

「なるほど、断腸亭日乗とか墨東奇譚って、つまりはこういう話だったんだな」

と鮮明なイメージを持つことができた。

 

私は、この映画を観て、永井荷風は、自分が一人暮らしの部屋で

一人だけで死んでいくことになることは十分に覚悟していたし、

むしろそのような死を望んでいたんじゃないか、と思った。

 

そして、そのような死に方を選んだことに、信念、勇気、生き方の美学を感じた。

 

一人暮らしの部屋で孤独死・・と思うと、怖い、無残、敗北といった

ネガティブな印象を持つけど、

永井荷風の死にざまを思うと、

それって本当に敗北なのかな?

仮にネガティブだったとして、仮に多くの家族や友人に囲まれた環境で

死んでいくことが望ましいことだったとして、

ネガティブでよくないの?望ましくない死に方をすることの何が問題なの?

という疑問が出てくる。

 

一人だけで誰に知られずに死ぬことができたら、

永井荷風みたいな死にざまができると思って、

光栄に思ってもいいんじゃないですかね?