放浪と漂泊の人生を送りたい。
家族と暮らすのはいやだ。
仕事なんてしたくない。
いやな同僚の嫌味なんて二度と聞きたくない。
そんな気分になると、尾崎放哉を思い出す。
尾崎放哉は、一人で、無一文で、小豆島に流れ着いてから、
お寺の粗末な建物で風呂もない生活を始めて
病気が悪化してから、すばらしい自由律俳句を作るようになった。
尾崎放哉の小豆島時代を描いたのが
吉村昭『海も暮れ切る』。
尾崎放哉が衰弱して死んでいく様子が生々しく描かれていて、
そうであるがゆえに、病と死と格闘した尾崎放哉の
だめな部分とすばらしい部分がともに描かれていると思った。
尾崎放哉みたいには死にたくない・・
けど、一方で尾崎放哉は偉大なんじゃないか、という思いもある。
「やせたからだを窓に置き船の汽笛」
尾崎放哉にとって、小豆島に時々やってくる船は、
外界、社会とつながる一筋の希望のように映っていたように思う。
でも、もう自分の病が進行していることも自覚していた。
その自分の置かれた状況に、真正面からぶつかっているところに
敬意を覚えてしまうのかもしれない。