オリジナリティまではパクれない | ■多忙な個人事業主・起業家様を事務面でサポート|オンライン/東京

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東京在住。事務歴25年目のパラレルキャリア。忙しい個人事業主や起業家の皆様の使える時間を増やすお手伝いを、事務面からさせていただきます。

「パクリ問題」。

これは、業種やネット/リアルを問わず起こっていて

いつまで経っても無くならない、根深い問題。

 

東京オリンピックのエンブレムデザインパクリ問題は有名ですが。

SNSでの文章やハンドメイド作家さんの作品など、

自身のオリジナリティを注いで生み出したものを

いとも気軽に&罪悪感なしにパクる人の姿や

その相手に憤る、パクられた方の投稿を、度々目にします。

 

オリンピックつながりで、国立競技場↓

 

した方は、

「まなぶは、まねぶ」というじゃないか!

とか

「子供の頃ことばをおぼえるのだって真似」

とかいって逃げる。

言い訳だけは舌を巻くほど創造性が高くて。

「そのクリエイティビティを、パクることでなくて自分の作品づくりで発揮したら?」

と思うほど。

 

でも、された方は、ものすごい怒りを覚える。

自分のオリジナリティまで、盗まれた!

と思うから。

 

わたしのパクられた経験

私も、文章や言い回しをパクられることが度々あり。

ブログのタイトル、出だしの文章から

使っているストックフォトまで、まるパクリされたことがあって以来

写真はなるべく自分で撮った物だけ使っています。

いちばんのお気に入り♥

 

パクられた方は、パクリに絶対気づく

一度目なら「偶然かな?気のせいだよね」

と思うけれど。

それが同じ人から2度、3度やられると

「パクられた!」という確信に変わり。

書くたびにパクられることに

怒りと落胆を感じていたんです。

 

フォロワー多い方が正義!?

パクリをしていた人の方(以降、パクラーと表記)がフォロワー数が多く。

美人で毎回自撮りをアップして

見た目で惹きつけていたから

その人の文章を読む人の方が多いと思い。

眼にふれる数が少ない私は不利で

「私の方がパクってるって思われるんじゃないか」

と思って、余計にモヤモヤし。

 

「パクられる位なら、もう文章書くの辞めよう!」

って思って、ブログ書くのをやめ。

「写真だったらパクられない!」

「同じ場所で撮っても、構図や光の取り入れ方が違うから同じ写真には絶対ならないから」

という理由で、インスタグラムに注力するようになりました。

 

パクラーへのネタ供給ルートを絶つか?!で葛藤

実は、このブログアカウントも閉じて

アメブロやめちゃおうかな。

とか。

Facebookアカウント消してしまおうかな

とも思っていたんです。

 

「自分にとって不要なものは捨てる」ことが

時代の変わり目の今、星の流れ的にもオススメという

星読みさんたちのブログを読んでたし。

 

でも、もうすぐブログ始めて5年。

400記事近く書いていたので

(年数の割にはすくな・・・・・。汗)

全消しするの、もったいないなぁ。。

と執着する自分もいて、

踏み切れないでいました。

 

「数こそ正義」は真実か?

「パクられた」なんてことにこだわる自分は

何て我欲が強い、エゴの塊なんだろう。。

って思ったり。

自分のこのエゴが投影となって

「パクられる」という風に

相手の行動が見えてるんじゃないかと思ったり。

 

色々葛藤してましたのです。

 

メンターに相談。目を醒まし背中押される

そんな折。

信頼するメンターの先生方に相談する機会があり。

自分のエゴをめった斬りにしてもらったほうが

かえって踏ん切りがつく!

そう覚悟を決めて相談したら。

 

「勝ち負けにとらわれている」

それが、「フォロワー数が相手の方が多い」

という所にこだわりすぎている所に現れているということを

ズバリ指摘され。

 

「数が多い=面白い文章なの?」

「あなたは、数が欲しいの?面白い文章を書きたいの?」

と、本質を突く鋭い質問をされて。

 

「もっと自分のオリジナリティを出して、書き続けて、突き抜けた方がいい」

「パクる人で生き残る人を見たことないから。」

と、愛ある言葉で背中を押してもらい、

我に返りました。

 

そうだ。

数と質は、別だ。

3年前の派遣先を辞める時に、部署の方たちからもらったBeerたち

 

SNS上での強い声に呑まれていた自分に気づく

フォロワー数が多い=エライ

みたいな風潮に呑まれて、

「数が正義」と、

勝ち負けの土俵に乗っていた自分に気づき。

 

フォロワー数が多いからといって、

必ずしもオリジナリティがある面白い内容とは限らない

ってことは、パクラーの文章を見ると明らかじゃないか!

という事に気づかせて頂いたのです。

 

GACKT様の名言で気づく、オリジナリティの真髄

そこで思い出したのが、

お正月に見ていた格付け番組で

「知識は誰にも奪われることの無い財産」

とGACKTさんが言っていた名言。

 

たとえ財産を奪われたとしても、

自分がこれまで培ってきた知識や経験までは奪うことはできないから。

無一文になっても、自分の知識を使って一からやり直せる自信がある。

みたいなことをおっしゃっていて。

 

これって、オリジナリティも一緒だなぁと思うのです。

 

パクれない、奪えないオリジナリティの真実

たとえ、パクられたとしても

自分がそれを生み出すにあたって使った

自分の中の知識と経験までは

相手は、パクることができない。

 

オリジナリティって、「成果物」だと思いがちだけど。

成果物を生み出す元となる

自分の知識や経験、

そして、その中から

何をこの場合使うかをチョイスするセンス

こそが、オリジナリティだと私は思っていて。

それは、自分にしかないもの。

そして、他人が決して盗むことや

使いこなすことはできないもの。

 

にゃんこは金髪美女のハートをたやすく盗むけどw

 

 

つまり、「成果物」という表面的なものをパクられたとしても。

パクラーはそれ以上のモノを作り上げることはできない。

なぜなら、その元となる「オリジナリティ」までは

パクることはできないから。

 

そして、そのバックグラウンドのストーリーを語ることはできない。

だって、自力で生んでないから。

結果、それを見た人に薄っぺらい印象を与える。

 

自ら生み出せないから

パクラーはパクリを常習化して

パクラー沼にずぶずぶはまり、

人からの信頼をどんどん失っていくのだな。

と、納得したのです。

 

 

パクリで得るもの、失うもの

パクラーが得るものは

「ラクして一定の質の成果物を一瞬で得られる」こと。

 

そして、それと引き換えに失うものは

人からの信頼もさることながら

「自分のオリジナリティ」を育む筋力

あるんじゃないだろうか。

 

「成果物」を生むのって、

やっぱり考える、分析する、取捨選択するという

頭の筋力を使うから。

簡単にパクリを続けていると

脳のその部分が退化しちゃうんじゃないかと思うし。

 

自分でトライ&エラーをしないまま

まるっとパクることで、その経験から得られる知識を

いつまでも身に着けることができず。

いつまでたっても、うっすーいペラッペラーなままの

オリジナリティにとどまって、

多くの情報に埋もれるだけ。

 

だから。

再び、ブログを書こうと思い復活し

長文書いるなぅ。

 

あ。

オリジナリティまではパクれないってタイトル、

GACKTさんの「知識までは奪われない」をパクってる!?

いや、GACKT様へのオマージュです

(↑言い訳だけはクリエイティブw)