旧ユダヤ人祖界地と何鳳山(後編)
(続き)
日本軍は手を緩められない。
ナチス・ドイツの同盟軍として。
日本軍はある政策をとる。
それが先回述べた、狭い中にユダヤ人を閉じ込めるということ。
租界地の周りにはバリケードのようなものが張り巡らされている。
というより、彼らの家の入り口をレンガなどで封じてしまった
というのが早いだろう。
唯一そこから外への出入りを許されている者は
芸術(音楽の演奏など)や、特殊な職業のできる者のみ。
とはいっても、彼らも決められた時間には帰らねばならない。
では、他のユダヤ人は?
もちろん食事はろくに与えられない。
しかし、周りの中国人は床下付近に開けた穴からこっそりパンの
差し入れをしていたらしい。
で、この春までにはその跡形がしっかり残っていたのに・・・。
↓(租界という字間違ってしまいました。すみません。)
http://www.stmtour.com/ViewPoint/ViewPointDetail.aspx?ViewID=0000000419
無いんです。
この間、行ってみたらすでにきれいに塗りなおされていました。
がっかり![]()
でも、未だに、築100年以上のものは残っている。
追伸;モーセ教会堂(ユダヤ人難民記念館)に行ったら、
値段は相変わらず50元。(高い)
そうこうしているうちに、中から係員のおじさんが・・・・。
おじさん “(上海語で何やら話し掛けてくる)”
私 “50元って高いよね。”
おじさん “確かにな!ちょっと待ってて。”
そうして持ってきてくれたパンフレット。
今は、中国語と英語しかないのだそう。
日本人客はほとんど来ないのだそうだ。

