新年あけましておめでとうございます。崖っぷちの一年、いろんな意味でね。年明け一作目の鑑賞作品がなんとも地味~な、メキシコ映画「型破りな教室」。舞台はアメリカ・テキサスとの国境に近い街マタモロス。ここまで言えばまた麻薬だ、人身売買だのとメキシコギャングの暗躍する暗~いイメージの作品が連想されます。この作品も御多分に漏れずそんな貧困世界の負の部分が出てきます。しかし、これは学園ドラマ。と言ってもどっかの国の学園ドラマのようにアイドルたちが大挙出演と言うような脳天気な作品ではありません。貧困問題を抱えるメキシコだけじゃなく、世界の教育者たちが観るべき作品です。勿論、日本の文科省もな!
教育を受けるべき子供がその環境にない世界で過ごさなければない不条理。そこに一人の風変わりな教師が赴任してきます。ギャングが蔓延り、子供たちに麻薬の配達をさせ、通学路には死体が転がる。彼が受け持つクラスの子供たちは全国最下位の成績。これを全国トップにまで押し上げる。2011年に起ったこれは奇跡の実話。地味やけど秀作です!
アメリカ・テキサスの国境に近い街マタモロス。日夜、銃声が響き、麻薬の売買が横行し、路上には毎日のように遺体が転がっている。メキシコでも最悪の治安、危険地域である。ここにあるホセ・ウルピナ・ロペス小学校の生徒の半数以上は卒業が危ぶまれ、成績は全国の最下位である。この環境では仕方のないことであった。ここにセルヒオ・ファレスと言う風変わりな教師が赴任してきた。初めての授業で彼は机や椅子を教室の端に追いやり、真ん中に座り込んで「これは救命ボートだ。ボートは6つ、君たちは23人、さあどうする?」いきなりの彼の行動に子供たちは面食らう。「何これ?」「変な先生」。だが子供たちは彼の議題に興味を持ち始めた。「そもそもなぜ船は沈んだり浮いたりするんだ?」ところが学校にはパソコン室にパソコンがない。ファレス先生は自分たちで考えるよう促した。その日から子供たちは自らが興味を持ったことを独自で調べるようになった。ファレスの授業は奇想天外、ある時は校庭で、ある時は野外で。教育委員会の定めたカリキュラム通りに進めないファレスをみて、校長は苦り切った表情をしたがファレスの過去の後悔や理想を聞くにつれ、彼の良き理解者となっていく。だがこの街では子供たちが教育を受けるには最悪の環境にある。子供たちは常に問題を抱えている。おとなしく何事にも消極的な少女パロマは浮力の法則をノートに書きこんでいたり、ファレスが出す数学の難問をいとも簡単に解いたり、彼女の才能にはファレスも舌を巻いたが彼女の家は父はゴミの山から廃品を売り捌き生計を立てている超極貧家庭。「娘に無駄な夢を見せないでくれ」と言われる始末。哲学に興味を持ったルペは図書館でスチュアート・ミルの哲学書を読み漁っている。しかし二人の幼い弟と妹の面倒をみなければならない上、また子供が生まれる母親から「来年は学校には通えないのよ」と伝えられる。兄がギャングに加わっているニコは船を作ることに興味を持ったが兄に麻薬の配達の片棒を担がされギャングに引き入れようとされている。ファレスの言う「君たちには必ず一人一人が持っているものがある。何だかわかるか?それは『可能性』だ」とは裏腹にすべての環境が子供たちの「可能性」を阻んでいた。そして行政からはENLACE(メキシコの3~6年生までが受ける国家試験)を受けるためのカリキュラムを進めろと圧力がかかる。そして悪夢のような悲劇がファレスを襲う。
カリキュラムって言ったってね、子供たちはそれぞれ個性がありそれぞれ違った可能性、才能があるわけです。一括りに一つのカリキュラムで教育しようと思っても無理なわけです。主人公の教師ファレスの理想は素晴らしいがあくまで理想であり一人一人違う教育をすると言うのは無理な話し...と教育界の頭でっかちたちは言うわけですが、それに一歩でも近づこうとしていますか...と言う話です。中学時代に別のクラスやったけどある先生がこんなことを学校の卒業文集に投稿していたのを思い出しました。「みんなどんな道でもいい、その道のプロになれ、そうすれば日本は世界一の国になる」そのようなことを書いてはりました。この先生、「俺は昔、不良やったんだー」なんてことを自慢か学校のワルたちに寄り添おうとしたのかわからんけどそんなことをの賜っていたのでなんかあんまり好きやなかったけど、あの投稿だけはなるほどなと思ったもんです。
先日、政府自民党の小野寺政務調査会長が例の「103万円の壁」についてこんなことを言うとりました。「なんで学生が103万も稼ぐ必要があるんだ?学業が本文だろ?」
アホ、この映画、観てほしいわ。この物語ほど極端ではないにしても近いことが日本でも起こっとるんや。奨学金の返済や授業料、それにある程度の年齢になりゃあ小遣いもいる。親の給料だけじゃどうにもならんとこまで来とるんや。この男もうちょっとましかなと思ったけどやっぱりこの党はあかんわ。
子供たちの可能性と言うのは個々違います。前述の「皆が一流のプロ」になるそんな世界になれば本当に世の中が良くなる。そう思います。現実は程遠いですがね。じゃあそれを阻んでるのはだれか?世の中であり、その世の中を作ったほんの一握りの大人です。この作品に出てきた少女パロマは作品のエンドロールに出てきたように雑誌「WIRED」に「次代のスティーブ・ジョブス」としても載ったとのこと、あれから10数年たっているから今の彼女がどうしているのかも知りたいとこやけど、エンドロールの最後がかのアルベルト・アインシュタイン博士の放った言葉で締めくくられています。
「私の才能を妨げたものは、教育である」
強烈な皮肉やね。