ホイットニーヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY | kazuのブログ

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私はあんまり全米のミュージック業界のことは知りません。だからホイットニーヒューストンもケビンコスナーと共演した「ボディガード」での彼女しか知りません。「ボディガード」を観た時、まず綺麗な人、そして黒人ぽくない人と言うのが第一印象でした。黒人ぽくない人と言うのは黒人の持つ悲壮感がないということ。あの当時はビートルズの記録を破るほどの「凄い歌手」とは思いもよらなかった。けどこの「ホイットニーヒューストン  I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」でも描かれているように「黒人ぽくない」と言うのが「黒人の魂を捨てた」だとか「黒人の裏切り者」だとかと言うレッテルを張られる。なんなんやろね?黒人差別を訴えておきながら。白人、黒人、そして黄色人種と垣根を越え、R&B、ポップス、ジャズ、ゴスペルのジャンルを問わず〝THE VOICE〟と呼ばれた天性の声量で世界中を魅了し続けた彼女の20数年間は彼女がこの世を去って10年がたった今でも色褪せることはありません。「ボディガード」で響き渡った彼女の〝 I Will Always Love You〟は今でもたまに聞きます。耳にこびりついています。

1983年ホイットニーエリザベスヒューストンは歌手だった母シシーの後姿を見るように歌手になろうとライブや教会で母のバックコーラスを努めていた。母の指導は厳しかったがそれでも彼女の才能を一番認めていたのは母自身だったのである。しかし母の代わりに育児をする浮気性の父と母の中の悪さに耐え切れず兄たちと部屋に籠もる日々が彼女にとっては悩みの種だった。

ある日、母の代役としてライブのステージに立ったホイットニーの歌声を聞いて彼女に魅了された者がいた。アリスタレコード社長のクライブデイヴィスである。歌姫ホイットニーヒューストンの誕生であった。アリスタレコードと契約を結んだ彼女はいきなりデビューアルバムをヒットさせ順風満帆な歌手生活をスタートさせる。私生活の方は母の元を飛び出し同性愛の相手だったロビンクロフォードとの生活をスタートさせ彼女を個人秘書にする。ホイットニーの快進撃は止まらなかった。ビートルズの記録を破る全米シングルチャート7曲連続1位、6度のグラミー賞受賞、スーパーボウルでの国歌斉唱、主演映画「ボディガード」の大ヒット...。そして私生活でもロビンと同性愛を解消した彼女はR&Bの歌手ボビーブラウンと結婚、そして娘クリスティーナを出産。

誰もが夢見るスーパースター街道を走り続けた彼女だったが2000年代彼女の勢いに陰りが見え始める。連日マスコミやファンに追い回される疲労、周囲からの過度なプレッシャー、夫ボビーとのすれ違い、そして自らの会社の経理を任せていた父の横領。そして幾多のスターたちがたどってしまう道。彼女も薬物に溺れていく...。

 

「ボヘミアン・ラプソティ」でフレディマーキュリーを演じたレミマレックもそうでしたが近年まで活躍していた人物を演じるのはやはり無理があります。つい最近までの残像が残っていますからねぇ。ホイットニーを演じたナオミアッキーと言う女優さん、確かに熱演でしたが観ている側としては「うーんどっかちゃうなぁ」とどうしても思ってしまう。けど作品自体は本当によくできていました。彼女の苦痛、苦悩よく出ていたし子供を愛する姿は今から見ると「ボディガード」で演じたレイチェルマローンはマジ彼女自身だったんやなって思います。

けど、うーん...スーパースターって言うのは何で薬が付きまとうんですかねぇ。みんな駄目になっていく。ビリーホリディ、エルビスプレスリー(いろいろ説あるけど)。トップの座に居続けることは相当な重圧。素晴らしいものを出せば、我々能力のない一般庶民は「次はもっと」と期待する。愚かです、人間言うのは...