私は忠臣蔵が大好きでドラマも観ますし機会があればぜひ吉良上野介邸などの史跡を再度訪れたいと思っていましたが機会到来です。まずは吉良上野介上屋敷跡を訪れるために両国駅を起点に散策します。
両国は言わずと知れた相撲の街です。両国駅の近くには相撲部屋が点在しますので巡るのも楽しそうです。駅の中にも代々の横綱の巨大な肖像画が並び圧倒されます。
元々は国技館に掲げられた肖像画ですからかなりの大きさありますね。
駅から歩いて本所にやってきましたが吉良邸の地図や案内が出ているので間違うことは無いですが久々の訪問で自信なかったです。吉良邸はいずこ?
現在はビル街の中にあって分かり難い場所ですが海鼠壁が印象的な吉良邸跡を発見しました。
現在は正式には本所松坂町公園と言う名の史跡公園ですが赤穂浪士が討入りした吉良上野介の上屋敷跡の一部になります。
現在は当時の面影も無いほど狭い敷地(86分の1)になっているそうですが、地元の有志の方々の努力もあってしっかり守られている印象です。
現存する自ら彩色したと伝わる吉良上野介の木造を模した木造が鎮座します。
壁には現存する吉良上野介像の写真がありました。
邸内に吉良上野介の首を洗ったと伝わる井戸がありました。
松坂稲荷大明神ですが討入後の地所鎮めのために建立されたということです。私もお参りさせていただきました。
西側に移動した場所ですがマンションの一階に吉良邸裏門跡の立て看板がありました。
二手に分かれた大石部隊ですが裏門は大石主税以下24名が配置されました。
さて吉良の首を取った赤穂浪士はすぐ近くの回向院に向かったとのこと。上杉軍がすぐに攻めて来ることに備えてここ回向院に籠って待ち受けようとしたようですが実際は門が閉められ中に入ることを拒まれたようです。このため泉岳寺に向かうことになりました。
中に入れるようですので境内を散策することにします。回向院は明暦の大火で亡くなった人々の慰霊に建立された寺院です。勧進相撲興行の中心とされてきたことで相撲の力塚が立っています。
また鼠小僧の墓があることでも有名ですね。いつの頃からか墓石を削って持ち帰ると賭け事に勝つと言われてきたとのこと。回向院は生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くものという理念に基づき、罪人の鼠小僧も供養されています。
ただ案内板によると武家屋敷から盗んだ金銀を貧しい人々に分け与えていたという鼠小僧の美談は後世の創作らしいです。
猫塚伝説というのも楽しい昔話の伝説ですね。
吉良の首を取った浪士一行はここ両国橋のたもとで上杉軍に備えて臨戦態勢をとっていたようです。
両国橋のたもとには大高源五の歌碑が残されています。討入の前日に大高源吾と其角が両国橋の上で出会ったことで後世に残る物語が出来上がりました。
両国橋と百本杭についての案内板も出ていました。
以前かなり昔に訪れたことがありました吉良邸ですが再訪できて改めて忠臣蔵のストーリーが蘇りました。さて次は赤穂浪士の姿を追いかけて両国橋から永代橋まで歩いて見たいと思います。