佐賀に来ましたので有名な吉野ヶ里歴史公園に初めて寄ってみることにします。ここでは実際に保存された吉野ヶ里遺跡を見学でき弥生時代の生活文化を勉強できる施設となっているそうです。
駐車場よりエントランスを通りいよいよ吉野ヶ里歴史公園に入っていきます。
マスコットキャラクターのひみか君が迎えてくれました。妹のやよいちゃんというのもいるそうです。
とにかく広い園内はいくつかのゾーンに分かれており今回はメーンとも言える環濠集落ゾーンを中心に回りたいと思います。
園内は広いので周回バスを利用するのが便利です。20分間隔でゾーンを回ります。
いよいよ厳重に柵に囲まれた支配者層の居住した地域に入っていきます。
南内郭の案内図です。
私は初めて目にしますが両側一帯には敵の侵入を防ぐための逆茂木があったとのことです。
途中で遺跡から発見された貴重な資料を展示している展示室を見学します。
様々な展示物がありましたがやはり目を惹くのは甕棺ですね。
こちらの展示室には壷の様に上に蓋をするタイプの甕棺が並んでいました。
やや小さな子供用の甕棺もあって少し心が痛みました。
装飾品を付けた少女の人骨など1350年の時を経て現代に歴史を伝えます。
この地域は防御が厳重で城柵と環濠に囲まれて監視のための物見やぐらも建てられています。
遠くから物見やぐらや竪穴式住居が建ち並んでいるのが見えてきます。弥生時代の風景が蘇ります。
近くで見ると物見やぐらは相当な高さがあるのが分かります。敵の侵入を厳しく見張っていたのでしょうか。
物見やぐらからの風景は当時の風景そのままという気がします。内郭に住居が立ち並んでいるのが見渡せます。
南のムラには一般の人々の住居が立ち並んでいるのも見渡せます。
仕切る人(大人)の住まいの竪穴住居が並びますが当時は一夫多妻制だったのではと推測されています。
中の様子が再現されています。
竈が置かれているなど台所の役割をした煮炊屋と呼ばれる建屋もありました。
次に北内郭に進みますがここはさらに重要な場所の様で柵が2重に張り巡らせています。
北内郭の案内図です。
吉野ヶ里の中心となる北内郭の様子です。
ひときわ壮大な建屋の主殿ですが吉野ヶ里全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていた場所と考えられています。
2階では吉野ヶ里の王やリーダーたちや周辺のムラの長が集まって決め事を話し合ったりしています。
3階では祖先の霊のお告げを聞く祈りが行われていました。
この建屋は高床式の住居になっていることから普段は人前に姿を見せなかったと言われる最高司祭者の住まいだったと考えられています。
倉庫群の地域の案内図です。
屋根倉と呼ばれる神に供える稲穂や翌年にまく種籾などを収めていたと考えられます。
甕棺墓列には亡くなった人を大型の素焼きの土器に入れ土の中に埋葬された場所です。吉野ヶ里では想定で15,000基を超える数が埋められていたそうです。
実際に甕棺の埋葬状態が再現されています。
死んだ人間をどうして甕に入れて埋葬したのかは不明ですね。
北墳丘墓は吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられています。その発掘と保存のための施設が見学できますが、このお墓は人工的に造られた丘で違う種類の土を何層も突き固められて丈夫な構造になっています。
施設そのものが甕棺列墓の上に造られて見学ができるようにっていますのでとてもリアリティがあって驚かされます。弥生時代中期前半から中頃にかけての14基の大型成人甕棺が墳丘内から発掘されています。
北墳丘墓に埋葬された14基とは異なり一般の方の甕棺墓列ではたくさんの甕棺が一面に埋葬されているのが分かります。この時代に既に身分の二階層化が現れていたと推測できます。
実際には内側を赤く塗った甕の中に亡くなった人の手足を折り曲げて入れられていたそうです。
14基の甕棺のうち8基には立派な銅剣が一緒に埋葬されていたとのことですのでやはり身分の高い人がいたといことでしょう。
館内の空調は一定に保たれており、さらに発掘された遺構には保存のため特殊樹脂を散布しカビやヒビを防ぐ工夫が施さているとのことです。
この後は北墳丘墓から周回バスに乗って東口まで戻ることにします。
一度訪れたかった吉野ヶ里史跡を見物できてよかったです。十分楽しめましたし弥生時代の歴史の勉強もできました。(37)