名古屋から岐阜にかけて、かつての織田信長が駆け回った尾張・美濃を旅しました。国宝の城やかつての居城など城を中心に当時へ思いを馳せます。(2015/03)
JR熱田駅か神宮前駅が熱田神宮への降車駅になります。
ここは織田信長が桶狭間の戦に出陣する際に戦勝を祈願して見事に勝利を収めたことで有名です。
古くから多くの信仰を集めてきたのでしょうね。鳥居をくぐってからの参道は広く長く境内は想像したよりも広大です。
境内は想像したよりもかなり広いです。
織田信長が桶狭間に戦勝したことでお礼として奉納した塀が存在します。
日本三大土塀の一つと言われています。
境内には弘法大師のお手植えと伝えられている巨大な楠、『大楠』があります。 また江戸時代の模写、享禄古図(室町時代の境内)にも描かれている古木で、花は咲くが実がつかないために『ならずの梅』といわれている古梅があります。

境内には弘法大師のお手植えと伝えられている巨大な楠、『大楠』があります。 また江戸時代の模写、享禄古図(室町時代の境内)にも描かれている古木で、花は咲くが実がつかないために『ならずの梅』といわれている古梅があります。
駅を降りて約20分ほど歩きますが信長の出世城となった清洲城を訪れます。ちょうどこの橋から見た城の姿が千と千尋のモデルではとの都市伝説?があります、なるほど。
立派な天主閣ですが当時とは場所も違いますし、図面もほとんど残っていないとのことで想像のレプリカという感じの資料館でしょうか。しかし実際の城は信長の天下統一の第一歩はもちろん亡き後の秀吉の牛耳る清洲会議や、関ヶ原の戦いの東軍家康の前線基地など戦国尾張の重要な舞台となってきました。
映画「清州会議」の舞台となった場所ですが映画のような滑稽な雰囲気ではなかったと思います。
当時はこのような立派なしゃちほこが乗っていたのでしょう。
廻り縁からは四方の情勢を眺めることが来ます。現在は新幹線がすぐ横を通過していきます。

当時の城跡は残っていませんが五条川の護岸工事の際に石垣の一部が発掘されており当時を偲ぶ唯一の遺跡です。 

当時の城跡は残っていませんが五条川の護岸工事の際に石垣の一部が発掘されており当時を偲ぶ唯一の遺跡です。
天守閣から大手橋の対岸にあるのが清州古城跡ですが現在は清州古城跡公園として整備されています。
旧清州城の遺構はほとんど残っていないようですがここに来るだけで当時の清州城の雰囲気を感じることができます。
横を流れる五条川と天守閣ですがもともと清州城の天然の堀の役割をしていたようです。
清洲城公園には信長の銅像が立っています。
当時はこの清洲は尾張国の中心で交通の要所でもありたいへん繁栄していたそうですが、今は信長もやや寂しげに見えます。
その②へ続く (25)