7月の北海道といえばラベンダーなどの花が咲きほこるのが有名で私も富良野方面へ出かけようと思っていたのですが、さすがに外国の人にも人気が高くこの時期は大変な人込みということもあって富良野への遠征は諦めました。その代りと言っては何ですが移動時間がかかるものの、この機会にフェリーを使ってのんびりと旅を楽しんで箱館戦争時の榎本・土方を偲びたいと思います。 

まずは東京からバスで大洗を目指します。途中水戸駅に寄りましたので少しの時間ですが水戸城を見学します。水戸と言えば言わずと知れた水戸黄門ですが、水戸駅前にもしっかり水戸黄門と助さん格さん像がありました。

諸国漫遊で有名ですが実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがないとが分かっています。水戸駅から出て来る人に手を振って迎えている感じです。

水戸城としてはほとんど何も残っていないのですが歴史の舞台には戦国時代あたりからよく登場します。秀吉時代に小田原征伐あたりからその功績を認められた佐竹義宣が常陸54万石を支配するようになりますが徳川家康には逆に警戒されたか秋田へ移封となってしまいます。
その後水戸城は家康の十一男頼房を入城させ水戸徳川家の居城となった次第です。徳川御三家の居城であったにもかかわらず、尾張藩名古屋城、紀州和歌山城  に比べるとかなり質素であったと言われます。

本丸と二の丸の間の空堀には現在JR水郡線の線路が敷かれています。左が本丸、右が二の丸になりますが雰囲気は伝わると思います。

旧三の丸では水戸藩第9代藩主徳川斉昭により1841年8月に創設された弘道館が見学できます。藩士に文武両道の修練を積ませようと幅広い学問を採り入れた総合大学で当時の藩校としては国内最大規模のものでした。

第15代将軍となった徳川慶喜も5歳の時から弘道館において英才教育を受けています。

内部を見学できますが江戸城無血開城後に慶喜はここでの蟄居を言われていますがその際に使った家紋入りの長持ちが展示されています。そう言えば慶喜は榎本を残して大阪城から江戸に勝手に戻ってきたんでしたね。

水戸藩2代藩主の徳川光圀が命じて編集が開始された大日本史です。なんと完成は明治時代になってからとのことで最終的には397巻にものぼる大作です。

水戸城で唯一薬医門が現存しており、現在は旧本丸にある茨城県立水戸第一高等学校前に移築されています。雰囲気としては少し場違いのところに建っていると感じました。

歩いてみると水戸城の縄張り跡に坂下門が見えてきます。

棚町坂下門です。

さて船の時間が気になってきましたので大洗フェリーターミナルへ路線バスで移動します。この日の水戸は夕方ゲリラ豪雨が襲い、バスの運転手が「前が見えない」とつぶやくほどの大雨でしたが何とかターミナルへ着きました。大洗のフェリーターミナルです。乗船手続きを済ませて時間が来るのを待ちます。

18時30分発のサンフラワーさっぽろに乗り込みます。この日の大洗はゲリラ豪雨で外は真っ暗でしたがこれから長い航海が始まります。

部屋はエコノミールームです。満員だと辛いですがこの日は隣一つは開いていました。ほとんどの人はほとんど本を読んだり寝て過ごしたりしていました。他にはマリンシアタールームや大浴場もあって私も夜と朝と2回も入ってしまいました。

この日は天気が悪く雨が降っていましたので景色は楽しめませんでした。
暇なので食べることが楽しみになります。夕食はバイキングですのでいろいろつい食べ過ぎてしまいました。ごはんはホッキ飯でした。

翌日の昼近くになって北海道が近づくと天気が回復し空の色まで変わってきました。

汐風も爽快でずっとデッキで佇んでいました。太平洋も波静かでほとんど揺れを感じませんでした。

天気も回復し気分も爽快になってきましたのでしっかり朝バイキングでお腹を満たします。青い海と空を眺めながらの朝食は最高です。
13時を過ぎて苫小牧が見えてきました、もうすぐ着岸です。

約19時間の船旅でしたが特に退屈することなくのんびりと過ごすことができました。

苫小牧港に着岸します。

ここ苫小牧からは当初札幌、富良野方面へ行こうかとも考えていたのですがまた大好きな函館に向かうことにしました。港から苫小牧駅まではバスで向かいます。

待ち時間の間に駅の近くの喫茶店に行きましたがここはかつてテレビ東京のローカルバスの旅で蛭子能収さんと太川陽介さんと森尾由美さんが寄ったことがあるのをテレビで見たことがありました。

苫小牧駅からスーパー北斗号で函館へ向かいます。

3時間ほどの列車旅です。北海道は都市から都市の間が広いので移動も時間がかかりますね。

函館に着いた時はすっかり夜になっていました。腹が空いたのですぐに向かったのは回転寿司の函太郎です。

 

いつ来ても函館の寿司は最高です。 ではまた。 その②に続きます。