その②から続く

この日急いで函館に帰った理由はもう一か所訪問したい場所があったためですが、函館から約70キロ、江差に向かうためでした。車を走らせて江差に向かいます。

こちらはもう使われていない江差駅です。

江差には原寸大で復元された開陽丸があり内部は記念館になっていますが海から引き揚げられた遺物品33000点のうち約3000点が展示されています。

その引上げ品を実際に見てみたく強行軍でしたがこの日のうちに訪問することにしました。遠くからでも見えるその3本のマストが当時のままに忠実に復元されたものです。

開陽丸の概要が書かれていましたが精巧に復元されているのでしょう。
組織図が書かれていました。

船内に入るとすぐ大きな大砲が目に入ります。その戦闘能力を誇示するように26門の大砲が装備されておりそのうち18門が先込め式クルップ砲であったとのこと。

人形がかなりリアルですがこの開陽丸も威力を発揮する前に嵐によって沈んでしまいました。

館内には当時の会議の風景が人形で再現されています。右が榎本武揚、後ろに土方歳三、左は中島三郎助です。

揺れる船内ではハンモックで寝るのが快適だったのでしょう。

船内は開陽丸に関する資料館となっています。

陶磁器もかなりの数海底から引き揚げられています。

また引き上げj品の中の食器類のスプーン・フォーク、ワインカップなどが開陽丸の西洋文化を伝えるものですが、榎本武揚が使い慣れてオランダから持ち帰ったものなどもあったのではないでしょうか。

刀剣ですがもしかしたら榎本や土方が使っていた刀もあるかもしれないですね。
短銃も重宝がられたようです。
またすごい数の砲弾も並べられています。これを大砲で打ち続けられれば薩長連合にも大きなダメージを与えられたと榎本も自信を持っていたことでしょう。ただいつも天候が榎本を味方してくれなかったですね。さすがの榎本も気象学はまだ未知であったのでしょう。
使われることのなかった砲弾が並びます。
甲板にも出られますが船の全長約70メートルとのことで思ったよりは狭い気がしました。当時はこの上を多くの船員が走り回っていたことでしょう。

本当に歴史的意義の大きい展示です。開陽丸は帆船ですが蒸気機関も搭載しておりスクリューで航行もできるなど当時としては能力が高い船であったと言えますが、鉄鋼船ではなく木造船であったことなどが不運を生んだのかもしれません。

江差には奇岩の瓶子岩が存在します。
波に削られてこんな形になってやっと立っている瓶子の岩です。
こちらは江差港のフェリー乗り場です。奥尻島への船が出ます。
夕方函館駅に戻って来ると駅前でグルメガーデンなる催しが。なんと凾館に居ながら北海道中の美味い物をそのまま食べられると贅沢な! 思わずサッポロビールを片手にソーセージやコロッケや串焼きなど食べまくりました。
それにしても入り口にいたこのキャラクターは何なのか今だに不明です。
函館での最後の食事はやはりお鮨でしょう。私は北海道の回転寿司が大好きで特に函館では函太郎に必ず寄ることにしています。とくかく美味いですね。
帰京のために函館空港に戻って来ました。天気が下り坂です。

たくさんの函館でしか買えないお土産が並んでいます。今回行けなかったので五島軒のレトルトカレーをお土産に買いました。

ガラス越しに最後の別れの会話のできるもしもしコーナーがありました。

天気も良くないので早々に帰ります。でもまたそう遠くない時期にまた来ますよ函館。

短い滞在でしたが榎本旧幕府軍の歴史を実感できる盛りだくさんの函館の旅になりました。(29)