信州は歴史的に見れば武田信玄と上杉謙信の戦いが有名ですし交通の要所であり歴史の舞台に登場する有名な城が存在します。かなり地域的にも離れていますのでポイントを絞って訪問します。

長野駅に着きましたが、長野らしい木を使った和風の建築が美しいですね。

どうしても外せないのでまずは善光寺にお詣りしました。

大正七年の再建の仁王門です。

仁王像についての解説が書かれています。

参道でお土産を探しながら歩くのも楽しいですね。

江戸時代中期に建立の善光寺山門です。二階への登楼参拝も可能です。

今年は7年振りの御開帳もありましたが今は落ち着いているようです。

次にいつ来れるか分かりませんので後ろ髪を引かれる気持ちで善光寺を後にします。

次にいよいよ川中島へ向かいます。川中島の戦いは1553年からの12年間で5度行われたと言われますが中でも4次の戦いは激戦で多くの伝説が残りますので訪問します。長野駅から川中島バスで約20分、第4次川中島の戦いの主戦場は現在八幡原史跡公園として整備されています。

古くからある八幡社の境内には一騎打ちの像や碑が残ります。

ここ八幡社に本陣を置く武田信玄は上杉謙信の籠る妻女山を襲い挟み討ちにする啄木鳥戦法をとったと言われます。しかしこれを見抜いた謙信はいち早く山を下りこの八幡社あたりが激戦の舞台となります。 

信玄、謙信両雄一騎打ちの地を散策します。

境内に決戦の像が見えてきました。

永禄4年(1561年)の川中島4次の戦いで上杉謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたという有名な伝説に基づく銅像が建っています。

謙信は単騎信玄本陣に切り込み馬上から信玄めがけて3度切りつけ信玄は危うく軍配で受け止めたのがこの地と言われます。

八幡社の社ですが境内にはその他に多くの戦死者を敵味方の区別なく葬むった首塚や執念の石など合戦を偲ぶ史跡が残ります。

古井戸からは怨念の悲鳴が今も聞こえると言われます。

周辺マップを眺めるとおおよその位置関係が分かりますね。

この啄木鳥戦法を提案したと言われる名軍師の山本勘助もこの戦いで討死しています。その墓があるということで案内図を頼りに墓参りに向かいます。

その墓は信州柴阿弥陀堂の敷地内に存在します。

河原の寂しい場所ですが勘助に手を合わせます。

非常に分かりにくい場所でしたが確かに勘助の墓所でした。

少し歩いて宇宙船の様な建物を目にしました。1998年長野冬季オリンピックでフィギュアスケート及びショートトラックスピードスケート競技の会場となった施設、ホワイトリングです。 
長野の旅 その②へ。(23)