さて次の訪問地の松代までは絆ライナーという直通バスがあってたいへん便利でした。長野経由で移動すると時間がかかるので今回はこのバスを松代の往復で使わせていただきました。このバスの時間に合わせて行程を組みました。次回は真田の郷も回ってみたいと思います。
松代の真田宝物館です。真田家に伝わる武具、鎧などが興味深かったです。特に昌幸が着用していたと言われる「登りハシゴの鎧」も見ることができました。
松代城跡に来ましたが、元々は武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの際に武田信玄が築いた海津城が始まりです。信之の松代移封により藩庁が置かれ城下町として開かれたと伝わります。太鼓門櫓が見えます。
南の櫓門です。
堀しか残っていませんが当時の雰囲気が伝わります。
信之は上田を離れてさぞ辛かったと思いますが上田からはそれほど遠くないので我慢できたのでしょう。その甲斐あって真田家は明治まで松代を支配することができました。
当時のままか不明ですが大きな石垣は素晴らしいですね。
9代藩主幸教が建築した真田邸御殿です。この頃は戦も無く平和になって庭園などの風情を楽しむ余裕を感じられるようになったのでしょう。
旧文武学校ですが、9代藩主幸教のとき松代藩での藩士の教育が始まったそうです。江戸時代こういった藩校があちこちに造られて教育が行われていたというのが素晴らしいと感じました。
松代城跡近くには小山田茂誠の住居があります。信繁が頼りにした姉・村松殿の夫ですが信繁が最後に宛てた死の覚悟の手紙などが有名ですね。冬の陣が終わったばかりなのに信繁はさらに死戦を覚悟していたのが分かります。
松代藩の真田家の菩提寺、長国寺を訪れました。このお寺の本堂は六文銭は分かりますが何か形に違和感があります。そうです、しゃちほこが付いています。松代城のしゃちほこを移したということらしいです、納得。
長国寺の真田信之の霊屋です。重要文化財で破風の鶴は左甚五郎の彫刻と伝えられ、夜な夜な破風を抜け出し稲を食い荒らしたという伝説が残っています。伊達政宗の瑞宝殿を思い出しました。
真田幸村・大助父子の供養碑、歴代松代藩主の墓所、真田幸隆・昌幸・信綱の供養碑など、真田家の歴史がここにあると感じました。大泉洋、吉田洋両氏が花束を捧げていたのをテレビで見ましたね。
また例の絆ライナーの時間に合わせて別所温泉駅にやってきました。
何とも少しさびれた田舎の温泉駅の風情があってとても好きですね。乗客は少ないのですがのどかな景色で癒されます。
善光寺と向き合っている北向き観音にお詣りです。雰囲気のある参道です。
ところどころにまだ雪が残っていましたが手水舎から温泉が出ているのに驚かされます。
別所温泉には3つの外湯(共同浴場)がありますので散策の途中でも気が向いたときいつでも入浴できます。
真田の隠し湯と呼ばれる石湯です。真田太平記に出てくるお風呂でお江も入ったあの風呂です。
石湯からすぐ崇福山安楽寺です。ここも真田太平記の中で良く登場する場所ですが、現実と創作が入り混じっているようですのでどこまで本当かが良くわからなくなりますね、それが面白い所なんでしょうが。
別所温泉駅のすぐ近くに日帰り温泉のあいそめの湯があります。ここも広くて明るくて露天風呂や樽風呂、岩盤浴などいろいろと楽しめるとあって多くの入浴客に人気でした。思わず一風呂頂きました。
その③へ続く (25)