さていよいよ関ケ原秋の陣跡制覇ウォーキング大会に初めて参加します。申し込み時点では松尾山には登らないつもりでしたが、当日ハプニングや私の勘違いもあって結局は16キロ制覇することになっていまいました。相当しんどかったですが良い思い出になりました。

さて朝の集合は関ケ原町役場です。
参加の人が集まり始めています。ここで受付を済ませます。
ミュージアムショップ前ですが徐々にテンションが上がってきますね。

さて受付も終わりウォーキングスタートしますがここで何故か手違いで松尾山まで登る制覇コース(16キロ)にエントリされていました。まあどうせ登らないからと軽い気持ちでスタートしましたが最終的には登ることになってしまいました。(笑) ふれあいセンター前で甲冑隊が見送ります。

スタートしてすぐ見えてきたのは宮津城主の細川忠興陣屋跡です。妻ガラシャを自害に追い込んだ石田三成への復讐心に燃え徹底的に石田三陣攻撃を仕掛けました。

生い茂る竹藪の中を進みます。

次は黒田長政。竹中重門陣跡にきましたがこの場所は少し高台で戦況が見渡せるために東軍の烽火場になっていました。(岡山烽火台)

ここの眺望の良さは格別です。東軍はここから全体の戦況を見守っていたことと思われます。 

途中大きなため池のような池がありました。このような道を進みます。

歩いている人は特に制限もありませんのでお年寄りから子供までファミリーで歩いている人も多かったです。中には甲冑姿で歩いていたり猫を抱いて歩いていたり全く自由気ままでした。

開戦から3時間経過した頃東軍の戦況がしくないことから家康が桃配り山から陣馬野の前線に移動してきます。笹尾山の目の前で大将が目に来るのは相当思い切った決断だったでしょう。

現在の陣馬野公園ですがここで首実験も行われています。

家康最後の陣の近くには田中吉政陣跡があります。田中吉政は地味ですが元々は秀次の家臣であり関ヶ原でも石田三成軍と前線で戦った後佐和山城攻略にも参加し石田三成を捕縛しました。

家康の命に寄り首実検を済ませた首を埋葬した東首塚です。

多くの首を埋葬した東首塚です。

 

家康の4男松平忠吉と岳父に当たる井伊直政の陣地です。関ヶ原の戦いでは福島正則を差し置いて決戦の火ぶたを切る抜け駆けを行ってしまったと言われます。また忠吉は終盤逃げる島津義弘を追撃しました。

このような住宅地の間の小道も移動します。

駅から出てほぼ正面に歩いた地に徳川四天王の一人本多平八郎忠勝陣跡があります。軍勢は少なく(600人)軍監的な参加だったようですが、逃げる島津を追撃しました。

さて次は学校の校庭にも入っていきます。
校庭の隅にあるのは藤堂高虎、京極高知陣跡です。

現在は春日神社の境内になりますが東軍の先鋒福島正則の陣跡です。猛将で有名な福島ですがまさに三成憎しの怨念パワーが皆を関ヶ原へ引っ張ってきたとも言えます。ここで西の宇喜多部隊との激戦を繰り広げたのが偲ばれます。

春日神社境内ですが関ヶ原合戦図屏風にも描かれている推定樹齢800年の月見宮大杉です。400年前も関ヶ原の大戦も見下ろしていたことでしょう。

脇坂安冶陣営です。小早川秀秋の裏切りが起こるまで他の朽木、小川、赤座部隊と共に動かず密約があったのかいまだに謎のままです。

 

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