その①から続きます。

次の目的地は現存12天守のお城の一つ備中松山城を目指して高梁市へ向かいます。一行を乗せたバスは山の麓に到着しました。

臥牛山に建つ日本一の高台の現存天守とのことでここは車では行けないのでふいご峠の駐車場からガイドさんを先頭にひたすら山道を登っていきます。

山道を登ること約25分で石垣が見えてきました。健脚でないとけっこうきついですね。

この城の特長として元々ある天然の岩盤をそのまま利用して城の石垣を乗せる形で構築しています。しかしこの方法は長い年月が建つと木の根が成長して岩盤にひびが入るなど崩落の危険要因があるとのこと。


石垣は大きさがいろいろですがかなり巨大なものもあって驚かされます。
登り切ってみるとしっかりとした石垣に囲まれているのに気が付きます。
城主はころころ変わっていますがその中には小堀遠州の名があります。関ヶ原の戦いで小堀遠州の父正次が備中松山城を賜りその後子供の正一(遠州)が引き継いだようです。遠州の功績としてはこの松山城の改築、駿府城の修築、名古屋城の普請などを行っておりその他庭園作りに才能を発揮します。
2層2階の天守は現存する中でも最も小さい大きさですが国の重要文化財に指定されています。
天守を間近で見ると石落しがあり近づく敵を狙っています。天守は2階しかないですが廊下が左に突出していることで3重に見せています。
天守の中はさすがに古く当時の古い柱などが歴史を感じさせます。 さらに2階には御社壇と呼ばれる神棚が祀られており宝剣が納められていたということです。
この城の特長ですが天守に囲炉裏が設けられており寒冷地での籠城に備えた設備と思われます。他にも貯水池があったりと籠城を意識しているのが分かります。
国の重要文化財に指定されている2重櫓や土塀が残っています。
2重櫓の裏手ですがここも元々の岩盤を利用して2重櫓の石垣を作っていることが分かります。
岩山の山城ならではのこの構成は全国でも珍しいとのことです。 またこの辺りは今でも猿が出没するようでところどころに猿の糞を見つけました。

最上階の窓から櫓を見下します。


全国でも屈指の山城跡として知られる竹田城跡に向かいます。日本のマチュピチュと呼ばれる雲海は今回見れないでしょうが直接バスでは入れませんので小型のマイクロバスなどに乗り換えて駐車場までは進みます。あるいは山麓から歩いて登っている人も多くいました。

入場のチケット売り場からひたすら山道を登りますが松山城と違って道が舗装されているので歩きやすいのは助かりましたがそれでもここから700メートル位ののぼり道を歩きます。(20分)

やっとたどり着きました竹田城ですが目に入ってくるのは(当たり前ですが)膨大でもはや美しいな石垣の数々と絶景です。その石垣に圧倒されますが他には何も目に入ってこないです。

 
縄張りの規模は南北400メートル東西100メートルに及びます。

素晴らしい石垣ですが野面積みで姫路城と同じ方法ですが穴太衆がそのノウハウを結集して積んだと言われるため「穴太積み」とも呼ばれます。

このように石垣の隅に縦型の大石を配置する方法は非常に珍しいということです。

 
櫓門の跡でしょうか、虎口になっているのが分かります。

本当に天に近いというかよくこの山頂に石垣を運んだと感心させられます。

北千畳と呼ばれる天空の広場の景観です。
二の丸の広場も良く見ると膨大な数の石垣の上に広がっています。
この雰囲気が竹田岡城やその他の山城と雰囲気が似ています。

天気や空模様、太陽の光と影によっても景観や見え方がかなり複雑に変化してきます。

この石垣の上にお城や櫓があったとすれば想像以上の天空の城であったでしょう。

南千畳からの眺めですが人の大きさでその全体のスケールが分かるかと思います。右端は北千畳です。

標高353メートルの山頂に位置するため360°周りには何も遮ることの無い絶景で風が心地よいです。ここに城があるのが不思議ですがまさに天空の城に相応しい夢と幻のお城でしょう。素晴らしい景色でした。

今回は4カ所の名城を巡るツアーでしたがいずれも歴史や特徴があってたいへん楽しめました。特に竹田城は本当に天に近い天空の城という表現がぴったりでした。他にも備中高松城跡など行ってみたいところがありますが次回ですね。

 

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