さて秋も深まる前に以前より行きたかった天空の城を回るツアーに参加してしたいと思います。山奥やらで個人でプランを組んで行くにはなかなか大変なので今回は1泊2日の手頃な某旅行会社のツアーに参加することで効率的に回る事にしました。(2015/10)
まずは平成の大修理を終えた姫路城を大手門より訪問します。
漆喰壁の塗り替えと屋根の葺き直しにより白すぎると言われる程の圧倒的な白さと存在感を取り戻した白鷺城ですが30年振りの訪問です。
大手門から入って三の丸広場から天守閣の美しい姿が見えてきました。
関ヶ原の戦いで東軍の勝利に貢献した池田輝政(52万石)は家康の次女を正室に迎え、大阪城と西国大名との間で睨みをきかす鎮西将軍としてこの姫路城を築城するわけです。
間近に見上げても5重6階地下1階の大迫力です。
姫路城では天守閣の美しさはもちろんですが様々な様式の櫓門を見て回るのも楽しいです。まず我々を迎えてくれる城の表門は菱の門と呼ばれます。片側だけが石垣の珍しい城門です。
同じ様式の門は無いように感じます。にの門は近づく正面から狙われているのが分かりますが、幅が狭く天井も低くあえて通り難くしているとしか思えないです。いざとなったら櫓ごと壊して潰してしまう意図があったと言われています。
迷路のような石段からは時たま天守が見えてくるために攻める側の方向感覚が狂ってしまいそうです。
城内で唯一門の上が二階構造になってる珍しい門ですが、一階部分は隠し石落が備えられておりうっかり通ると頭に石攻撃されるとのこと。ほんとに油断も隙もできませんね。
天守に入りますが階段は急で足元に注意が必要です。
天守閣は改修後かなり日が経ちましたがまだ大人気で、この日は平日でしたがこの人出で入場制限がされていました。
階段は当時のままで急で狭いし入れ替えに時間がかかります。
最上階は思ったよりも広いです。刑部神社が鎮座しています。
西の丸にも案内板が建てられていました。
手前に屋根の漆喰が見えますが瓦が風で飛ばないように固定する目地漆喰でまだ白く屋根全体を白く見せていますが徐々に黒ずんでくるそうです。
西の丸から天守を見上げたところですが手前には有名なお菊の井戸があります。この井戸は播州皿屋敷で知られるお菊さんゆかりの井戸でよく知られた怪談話が残されています。
夜ごと中から「いちまい~、にまい~」と皿を数えるお菊さんの声がするという怪談話がここだったのですね。
また珍しい遺構として羽柴秀吉時代の石垣を見ることができます。軍師黒田官兵衛はここ姫路城で誕生していますが、秀吉の中国攻めの際にこの姫路城を差し出すなど官兵衛と秀吉はこの姫路城でより関係を強めています。下の写真の石垣は明らかに他の石垣とは石の大きさも積み方も違い古い時代、秀吉、官兵衛時代の石積みであると考えれています。
西の丸から天守を見上げた景観です。
堀に映る石垣の姿も美しいです。
美しい池に優雅に鯉が泳ぎ回ります。
その後小早川秀秋が入りますが関ヶ原の恨みか2年で夭逝してしまい小早川家は断絶されてしまいます。その後は池田氏が継承します。
天守からの眺めですが鯱の向こうには旭川の流れと後楽園が一望できます。
ちょうど天守内では甲冑展が開かれていまして宇喜多秀家の甲冑が展示されていました。この甲冑で関ヶ原でも西軍のために活躍したのでしょう。
石垣は算木積みが見てとれます。
橋の上からの素晴らしい岡山城の眺めですが、この風景どこかで見たことあるなと思えばあの犬山城の姿によく似ていますね。
木曽川沿いに建つ犬山城と配置と景観がそっくりです。
さて日本の3名園と言われる後楽園ですが江戸時代を代表す大名庭園です。岡山藩主の池田綱正が着工し1700年ころに完成をみたと言われますので約300年の歴史が息づいていると言えます。太平の世になって庭園などの嗜好を楽しむ余裕と傾向が顕著になってきているのでしょう。
回遊式の庭園が目を癒してくれます。餌を求める鯉にしても優雅でのんびりとしています。
途中で昼ご飯を頂きましたが地元の名物の祭寿司のお弁当です。ままかりの酢漬けがポイントですね。
岡山と言えばきびだんごですね、きぼだんご坊やですね。
その②へ続きます。 (37)