さて人気の熊本城を見に熊本にやってきました。熊本城は再建の城ですが熊本の中心となっており路面電車からも正面にそびえて見えます。この他にも熊本には加藤清正の史跡など行ってみたいところがたくさんありますのでどんどん回りたいと思います。

通町筋あたりの路面電車から正面に熊本のシンボルである熊本城が見えてきます。

お城の南入口では加藤清正公の銅像が訪問者を出迎えてくれます。清正公は今でもせいしょこさんと呼ばれ地元では愛され続けていますね。

昭和35年に復元・再建された大天守と小天守はコンクリ-ト製ですが古写真や古地図を元に精密に復元され非常に美しい外観に魅かれます。

小天守の回りには石垣を上がってくる敵を防ぐため、石落としや忍返しなど防御の設備が備えられています。

城内を歩くとあちこちで武者返しと呼ばれる美しい石垣を見ることができます。裾が緩やかで上に行くと徐々に垂直になり敵を寄せ付けません。

朝鮮出兵で散々の餓えを経験した加藤清正は場内に120もの井戸を掘り籠城の対策を図っていたと言われます。17カ所が現存しています。

築城の際に横手五郎という若者が首にかけて2キロの距離を運んだと言う伝説の首掛け石です。

清正公が築城の際にお手植えになったと伝えらる銀杏の木があります。また清正が亡くなるときに、この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに何か異変が起こると予言しそれが西南戦争であったとも言われています。

 

熊本城には加藤清正築城当時の石垣と細川時代になってからの石垣を同時に見ることができます。傾斜が緩やかで不揃いの石を積み上げた(乱れ積み)ものと傾斜が急で比較的同じ大きさの石を整然と積み上げた(布積み)ものと時代の流れが感じられます。

 

加藤時代と細川時代と2世代の石垣を見ることができます。

さてコンクリの大天守と違い唯一創建当時から残る多層櫓の宇土櫓です。3層5階で第3の天守と言っても良いでしょう。当時の姿を偲ぶ貴重な建造物で国の重要文化財です。

小西行長の宇土城櫓を移築したものと伝わって名前になっていましたが熊本城で作られたということが判明したそうです。

宇土櫓は慶長年間の創建というだけあって天守よりもその古さが雰囲気があります。

天守のコンクリーと製異なって非常に歴史ある建物であることは良く感じられます。

遥か彼方には本妙寺が見えますが、この天守と同じ高さに加藤清正が眠ります。

城の西北方面から眺めると宇土櫓、大天守、小天守が一緒に写ります。

加藤清正の創建による本丸御殿です。西南戦争で焼失後に再建・復元されていますが大広間には鶴之間(60畳)、梅之間(35畳)、櫻之間(28畳)、桐之間(24畳)が連なります。

天井まで豪華絢爛な中国の宮中物語が描かれた障壁画が印象的な昭君の間です。あまりに豪華すぎる為この部屋は秀頼を迎える意図があったのではとの逸話が残ります。

大広間へはくらがり通路と呼ばれる地下通路をくぐります。日本の他では例を見ない作りであるとのこと。

二の丸側からの宇土櫓の眺めです。

城の北東にあったことから鬼門として開けられない門、不開門です。熊本城には18か所に櫓門がありましたが江戸時代から現存するのはこの不開門だけということです。

 

城内には熊本発展の礎となっているセイショコさん(加藤清正公)をお祀りする加藤神社があります。

勝負事の勝ち運をいただきました。

隣の高橋公園には明治維新の夜明けに影響を与えた横井小楠と縁の人々の群像が立ち並びます。左から坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久です。
 

同じく公園内には谷干城の銅像もありました。

戊辰戦争で活躍し西南戦争で熊本城を守り抜いて勇名を馳せた土佐藩士の谷干城です。

城の南側の坪井川に沿って約242mの長塀が目を引きますがものすごい数の石垣が必要だったでしょうね。

櫓が見送ってくれています。

夜はみずあかりナイトのお祭りがあっていて川がライトアップされて綺麗でした。

天守には夜9時まで登ることができ入場料も200円と安くなります。(5時以降) 外観もライトアップされ清正公もビックリでしょう。

威風堂々の天守です。