さて宮城県の白石市から移動して福島県二本松駅に降り立ちました。ここも戊辰戦争で打撃を受けた場所ですが日本100名城のお城の見学も楽しみです。
案内図があっていくつかのお勧めがありますが、暑いことと時間も余り無いので二本松城を中心に見学したいとお思います。城だけならそんなに時間も掛からないだろう・・・。(と安易に考えたのが間違いだったのは後でわかります。)
早い昼食に地元の蕎麦で腹を満たし出発します。城に向かうなだらかな坂は炎天下には辛いです。
かつての城主の二本松義継は政宗の父「輝宗」との争いの祭に降伏を申し出て輝宗を拉致し伊達政宗は父もろとも義継を射殺したことがよくドラマで見られます。(諸説ありますが)。この後政宗によって二本松氏は滅ぼされますが、豊臣秀吉の小田原征伐の後政宗が「岩出山城」に転封されると二本松城は会津若松城主「蒲生氏郷」の支城となるなど、目まぐるしく変遷していきます。
いきなり巨大な石垣が現れ驚かされると同時に期待が膨らみます。別名は霞ヶ城と呼ばれ現在は霞ヶ城公園として整備されています。
登城口には幕末時に多くの悲劇を生んだ二本松少年隊碑が立ち並びます。
高さは無いですが奥行きのある階段は歩き難いですね。右曲りの虎口が見えてきます。
櫓と復元された箕輪門が迎えてくれます。
復元された箕輪門をくぐっていよいよ登城です。
かつての門の跡と石垣が残ります。本丸はすぐそこにあるのかなと勝手に思い込みますが・・。
案内板を頼りに本丸に向けて坂を上ります。霞池と呼ばれる蓮池が現れます。
さらに上がっていく今度はるり池と呼ばれる池が現れます。けっこう高い所なんですがこのあたりは水源が豊富のようです。
やはり立派な井戸も現れました。豊富な水量のために日影の井戸として日本の名三井とも呼ばれるそうです。
本丸はまだ先ということで先の見えないアジサイの坂を上っていきます。
かなり登った先に突然石垣群が見えてきました。あれここ山城はだっけ?と思うほど山の頂上近くに古い野面積みの石垣が出てきます。
案内板によるとやはり古い積み方は蒲生時代の頃の石垣ではないかということです。
さらに上には綺麗な新しい積み石の天守台らしき石垣が出現します。これは完全に山城だろうと思ってしまいます。
標高345メートルの白旗が峰に建てられている城とのことで景観は抜群で360度見渡せます。左が天守台です。山麓の居館は230メートルとのことですので山道を100メートル以上も登ってきたことになります。
安達太良連峰の眺望も素晴らしいです。
二本松市の街並みが見下ろせます。
本丸入り口にも虎口が作られていますがこのあたりも新しい石垣ですね。
すぐに着くと思って登城してしまったために本丸・天守に登り着いたらヘロヘロになっていました。二本松城を少し甘く見ていましたね。しっかり縄張りを確認しておくべきでした。
下りは楽でしたが二本松神社にもしっかりとお参りいたしました。
丹羽氏の頃から城と関係の深い二本松神社です。
さて二本松からJRで移動して白河にやってきました。こちらも日本100名城の白河小峰城を訪問します。福島には100名城が三つありますが昨日今日で制覇することになります。
駅のホームからすぐ近いために天守が迎えてくれています。
地下道には城主の丹羽長重の解説が出ていました。長秀の嫡男ですね。棚倉城にもいました。
確かに震災の後に来たことがあるんですが石垣が崩落していて城に入れなかった記憶があります。現在は立派に修復されています。御三重櫓と前御門です。
この天守(三重御櫓)は実質的な天守であり岡山城を思い出させる黒漆塗りの下見板張りで黒い外見の城になっています。この三重櫓は戊辰戦争によって焼失し現在の物は1991年に木造にて復元された物とのこと。多くの城内の建造物も戊申戦争で焼失、破却されたようです。
2階からの階段ですが急ですので踊り場が付いている珍しい階段です。
3階からの眺めです。駅がすぐ目の前に見えています。
前御門です。
盛岡城と会津若松城と合わせて東北の石垣作りの三大名城と呼ばれています。確かに改めて見ると石垣の立派さが分かります。
昨日からあちこち暑い中このあたりの城めぐりをしてきましたが、偶然福島の三名城めぐりスタンプラリーやってましてバッチリ制覇できまして素敵なトートバックとクリアファイル頂くことができました。まあこの酷暑のなか頑張りましたからね、ご褒美です。
今回暑い中頑張ったのでこれで北海道、東北地方の100名城を全て制覇できました。 さすがに続100名城はまだぜんぜんですがね。