東北の城めぐりの旅ですが宮城県の白石を訪れます。初めてやってきましたがとにかく多くの歴史の舞台となっていますので一度は来てみたかったです。とにかく猛暑の中ですので効率よく見て回りたいです。

今回米沢からJRで白石にやって来ました。まだ午前中なんですがとにかく暑いです。

そうです。一度来てみたかったのはこれですね。伊達政宗の名参謀の片倉小十郎の城と真田信繁の末裔の史跡の地と戊辰戦争の重要な東北の拠点だったこともでもあります。度々歴史舞台に登場してきますし歴史好きにはわくわく半端ないです。

駅舎内でも観光案内所と片倉小十郎がお出迎えです。

白石城はあの伊達の片倉小十郎の居城ですが大阪の陣で真田家の子孫を連れて帰ったことでも有名です。また白石は戊辰戦争の歴史の舞台としての役割も大きくそのあたりの史跡も巡りたいと思います。

鯉の泳ぐ川に沿って城を目指します。

今回の登城は厩口門跡から登ります。現在は神明社の鳥居が立っています。

元々伊達氏の支配にあった白石ですが豊臣秀吉により没収され蒲生氏郷に与えました。その後上杉領になりますが関ヶ原の戦いの前に伊達政宗は白石城を攻略、この城を片倉小十郎が大改修を行いました。

かつての天守は明治7年に取り壊され平成7年に復元されたものです。

片倉家では伊達に気を使い天守とは呼ばず3層3階の大櫓と呼んでいたようです。天守台の石垣は野面積みですね。

大手門をくぐって大櫓へと向かいます。

復元された大手二階門と三階櫓(大櫓)です。

付け櫓から出入りができるようになっています。

鎧が勢ぞろいしていますが伊達政宗公、片倉小十郎、真田の赤揃えとなっています。片倉小十郎は八日月の前立ての上に軍神として信仰されていた「愛宕山大権現守護所」の御札を立てています。

二階の空間ですが武者走りが分かります。

三階は窓が大きく開放感がありますね。特にこの暑い時期は風が通って気持ち良かったです。

三階から先ほどの櫓門を見下ろしたところです。

二の丸の跡を見下ろします。現在は神明社が建っているあたりです。恐らくは阿梅姫や大八守信らもここで暮らしていたのではないかと推測されます

三階から本丸御殿跡をみおろします。この白石は仙台藩の本営であり奥羽越列藩同盟が結ばれ一気に抵抗へと舵が切られた舞台です。惨殺された世良修蔵の墓もこの白石にあります。

本丸御殿跡には片倉小十郎景綱公頌徳碑が建ちます。 

本丸御殿の跡の模型ですがここでも伊達家のために別の建屋(風呂)を用意しているなど片倉家の伊達家への忠誠が半端ないのが分かります。

市役所には釣鐘の紋章が掲げられています。この釣鐘は白石城主の片倉の軍旗が元になっています。片倉小十郎の姉喜多が考案したと伝わります。その後片倉家の馬印になったことから現在でも白石市の市章・シンボルとして扱われています。

そのまま歩いて真田の史跡の残る当信寺へ向かいます。場違い(失礼)な見事な三門ですが元々白石城の東口門であったものが東北本線の開通に伴いこの当信寺へ移築されたものです。

境内にある片倉守信(大八)と阿梅姫の墓と言われます。阿梅は真田信繁の娘ですが正室の亡くなった重綱の継室となって白石で一生を終えることになりました。波乱の人生ですね。

守信は信繁の血を引く男児であったことから幕府の追及を逃れるために身を隠し名を伏せて白石で過ごすことになっていたようです。

駅前にも小十郎プラザがグッズを扱っています。右にみえるのは交番です。

白石の名産は湯麺ということで市内にも多くの製麺家がありました。

 

時間があれば信繁の娘のの嫁ぎ先になる田村家の墓所に信繁の遺髪を埋葬して建立した供養塔にも行きたかったです。他にも歴史遺産の多い白石市に来れただけでも良かったですし再訪の機会があればじっくりと回りたいですね。とにかく暑かったです。

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